怒り

何かを言われて腹が立ってしょうがないというとき、
これはパターンの言い分ですが、
大抵の場合、自分が正しいと思っていることが多いように思います。
自分は悪くない、自分は正しいのに、なぜそんなことを言うんだろうと怒りが湧いてくるのだと思う。
そして、相手にそれを分からせたいという気持ちが続く間、ずっと腹が立っているのだと思います。

分かってもらいたい。自分は悪くない、正しいんだと。
相手に認めさせることができたら、謝ってもらったら、
怒りがひとまずは鎮まるのでしょうが、
相手を変えること以外に何かいい方法はないか?というので、
数年前からアンガーマネージメントという、怒りとの付き合い方なるものが流行ったりしました。
その対処法で怒りはあっていいものだと捉えられ、
腹が立つその感情もコントロールできる、となればそれはそれでいいと思います。
でももし、怒りの根源に自分が正しいというパターンがあったら、
それはどうしたらいいだろう。
怒りのパターンは、『自分が正しい』を否定をされた時、おびやかされた時、
必ず反応します。

怒りは、良くも悪くも何かしら行動したくなる(突き動かされる)感情でもあります。
何かを始めるきっかけとなったり、継続することの原動力にもなる。
ですが、どちらが正しいのか、どちらが悪いのかをはっきりさせたいというのは、
終わりのない戦いを自分対すべての人や事柄に挑んでいるように見えます。

正しさは良いことで、
正しさは誰もが認めてくれるもので、
正しくあればいつか満たされ、幸せがやってくる?

でも、これら全部、「私」は全然そうは思っていない。
例え本当に相手が間違っていようと、
自分が正しかろうと白黒はっきりさせたいなんて思っていないのです「私」は。
正しいという形あるものもないし、これは間違いという認識もない。

だとしたら、
自分は間違っているかもしれない、
正しいわけではないかもしれない、
どちらが正しいのか突き詰めようとしていないか?
そこに意味はあるのか?
怒りのパターンに気づいたら、
怒りの奥にある、寂しさや悲しさに気がついてあげたい。










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