サポートの定義

サポートについて考えています。
ちょっと眠れなくなってしまい、書いて整理したいと、
只今、夜中の3時にむくっと起き上がり書いてます(バカだ)・・・
この後二度寝して大丈夫か・・・

どこまでするのか、何がサポートであって、何は違うのか自分なりの定義を持っていなかったように思いました。
自分の持つパターンが感じていることですが、
仕事でよく使う『○○支援』という言葉には、
独りよがり的なものとか、余計なお世話とか、どこか支援する方は上みたいな傲慢さを感じてしまい、
だからあえて『サポート』という言葉を使うようにしていたと思います。
サポートに変換するとそれが少し和らいで、相手の方との距離感もちょうど良い感じになって、
ちょっと後ろから後押しするとか、いざという時には出ていく(それまでは見守る)とか、相手が必要としているときは側にいるとか、
自分の顔を隠しながら黒子に徹するイメージになるのかなと思います。

自分がもしサポートされる側だったら、
助けてほしいと思うところには反応がなくて、
そこは一人でやりたいと思っているところに出てこられたら嫌だな、と思います。
こういうズレがあるなら、いっそサポートなどない方がいいと思う。
自分があくまでも主役だから、リードしてもらうのとはまた違うし、
失敗しないように守ってもらうというのも、何かそれでいいのかって思うし。
助かった、支えてもらっていた、教わった、元気になれた・・・
そう思うのに、ちょっと時差があるくらいの方が自分だったらいいなと思いました。

「わたし、○○さんのサポートしています」
自分が何者であるかを伝えるために仕事ではそう言ったりするのですが、
毎回、サポートされる側は「いや、別にそんなしてもらってないし」と思っているかもしれないと思うのです。
でも、そんな相手の思いとはお構いなく、仕事だからサポートすることになっているからしているのよ、というのもある。
もちろん、相手が要らないと言えばすぐに終了するものでもあるのですが、
自分からは終了できないし、そうしたいと思うこともほとんどない。
一体何がよくてこの仕事をしているのか?
仕事だからやっているということだけではこんなには続けられず、
ああ、わたしは、楽しいからやっているんだ・・・と思いました。

サポートする、させてもらえるこの仕事は楽しいです。
他人の人生にちょっと関わりながら、垣間見ながら、一緒に笑いながら、一緒に怒りながら、一人でひっそり泣きながら・・・
自分も変わっていく、相手の方も変わっていく(または、そのままでいく)。
次はどうなっていくんだろう。
そういう一連のことに関われる時間が、
自分自身が楽しいから好きだからやっているんだなと思いました。

カウンセリングの先生が言っていた、
「カウンセラー何でやっているかって、楽しいのよ。それだけなのよ」
人のためとかじゃなく、話を聞いてあげたいとか、支え合いたいとかそういうのじゃなく、
自分が面白いからやっている。
こんなにも自分がどっしりと、ど真ん中に堂々と君臨していいんだと思いましたが、
自分もそうだった、と気づきました。

それで、サポートとは、を考えた時、
黒子を楽しんでいるか、そうじゃないかが一つの分岐点かもしれないです(すごく大雑把になった感もあるが)。
相手に何かを示すことがなくても、
他人から見てサポートしているねとわからないようなことでも、
すぐに結果が出ないようなことでも、
これがあったらちょっと相手も楽になるかな、楽しくなるかな、身軽になるかな、元気になるな~
と、わたしが関わることを相手も望むならばやる。
でも、楽しんでやらせてもらう・・・
このあたりが定義になってくるのかなと思いました。















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