甘くないことに感謝
前回の日記 に、50代に突入してから、あれ?と思っていたことを書きましたが、 年相応の常識や知識、経験値がないと厳しいことを言われてしまうということに、 自分が反応しているものは何なんだ?と考えました(今度は自分中心に考えた)。 相手が反応していると同じように、 自分も(パターンも)、 ほんと、そうだよねーって思っているために、そこに反応しています。 この年になるまでに、もっと常識を身につけていたかったし、 さすが年の功と言われるような知識と経験があれば、良かったのになあ、恥ずかしいなあ、と思っているのです。 自分が若い頃、50代といったら、人生の先生レベルの人だったと思う。 何でも知っていて、世の中の酸いも甘いも知っているようなイメージです。 表には出さずに苦労してきたことが、どの人にもそれなりにあって、 それは自分の苦労と比較にならないほど大きな経験をしていて(と勝手に思っている)、 考え方や行動がとにかくそれらしくなっている、というか・・・ 体力はきっと衰えて何かしらの病気や健康診断で引っかかっている項目もあるかもしれないが、 それにあらがうことはしていないとか・・・ おばさんパワーがいい意味でさく裂していて、 ちょっとのことでは動じない、肝が据わっている感じ。 だからもう誰も注意をしたりしないし、周囲から一線を引かれているような存在感。これが50代。 とまあ、50代に期待することがこんなにあったとは・・・ それが、いざ自分がなってみたら、 いまだに数々の失態が普通にあって、どんくさく、あきれられたり、バカにされたり、怒られたり、ということがある。 あれ?若い頃とそう変わっていないんじゃないかと思うほどです。 そこに、まだまだ修行は続き、成長を感じられない自分がいたのだと思います。 成長には終わりがない。 なのに、何か焦っていた自分がいたのかもしれないし、 成長しているはずだから、もうこんな風に言われたり思われたりという経験は減っていくだろうと、 勝手に妄想していたのかもしれません。 落ち着いて考えてみれば、 自分のやっていることを注意してもらったり、何か言ってもらうって、 とてもわかりやすい学びだと思います。 それが一つの事実としてあるんだなと、客観的に見て取れる。 甘かったのは、自分・・・。 言ってくれる相手がいたら、感謝して素直になって受けとめていこうと...