仕事の中の可能性

すべての人が未知数で、可能性に秘めている・・・と昨日思ったこと。
『可能性』ということだから、
それは、自分では想像できないこと、自覚がまったくないことだったりします。

今、与えられている仕事(障害のある方の就労支援)は、入社以来なんだかんだで、ずっとやっている業務です。
異動があったり業務が変わったりということはありましたが、そこからまた戻ったとき、
「水を得た魚のようだね」
と言われ、なんとも自分ではぴんと来ないことばで、
水を得ているのか?わたし・・・どの辺が?と思いました。
自分がどんなふうにこの仕事と向き合ってやっていたのか、わかっていなかった。

なぜ、その業務が今も自分に与えられているのか。
それは、続けてきたからそうなった、と思うところがあります(決して得意とかではなく)。
『続けてきた』という、ただそれだけが自分の可能性を広げてくれたように感じるのです。
また、続けてきたおかげで、この仕事がとても好きだと思う自分もいる。
人が変わっていく様子、人の秘めたる力、人が成長していく姿、元気になっていく姿を身近で見られること。
それが心底おもしろいし、うれしいし、その方の幸せを願う気持ちでいっぱいになります。
その幸せも、いいことばかりではなく、大変なこと、つらいこと、いろんなことが起きて、もっと世界が広がっていってほしいなあと思うのです。
そう思うと確かに、水を得たかのように、自分が生きる力を得られているということになるのかもしれません。

もしも、今、自分の可能性がまったく見えなかったとしても、
みんな、心の奥底では知っているように思います。
早くそれを見たい、知りたい、確かめたいと思うと、不安や恐れという感情にのみこまれてしまう。
だから、自分にも可能性はある、ということだけ知っていればいいのだと思います。
たとえ見えたとしても、そこがゴールではないのですから・・・

これからは、働くことの意味を本当に問い直す時代になると思う。
就職したいという個人の願望と障害者を雇いたいという企業の都合、
そしてわたし自身の仕事のあり方も、自己満足が優先していることに気づけない危険性がでてくるかもしれない。
はじめて、ウィルスという見通しのつかないものの中で、何を大事にしてやっていくのか。
自分の仕事が、微力なものであっても、本当に自分たちが住みたいと思う社会になっていくための礎となっているのだろうか。
そんなことを感じながら・・・
できることがあると信じてやっていきたい、と思いました。







コメント