嘘をつくか、つかないか

毎朝、今日一日をどんな日にしていくのか、宇宙に向けて宣言をしています。
といっても、空に向かって叫んでいるわけではなく、
静かに自分に言い聞かせるように、つぶやく・・・という感じで。
その内容は、なるべく考え込まないように、パッと頭に思い浮かんだものにしています。
その浮かんだものを自分は今日一日がんばってみよう、大事にしようと思い、やっています。

ここのところ何度か登場しているのが、
『自分に嘘をつかない』というもの。
嘘をつかないで、自分に正直に一日を過ごすことって、どれくらいできるかな。
なんて言うと、
えーーーそんなに普段、嘘ついているんですか?
と言われそうですが、
そうです・・・ついています、人間だから。
ちゃんと自分をみてみると、大なり小なり自分にそれをやっていることがわかります。
この『自分に』・・・という部分が胸にずしっとくる。

嘘をつかないというのは、白パターンで行動するということ。
たとえば、誰かの意見に対して、自分は違うかなあと思うことがあったら、
周りの人たちみんなが賛同していたとしても、一緒になってそうそう私もそう思ったなどと言わなくてもいい。
空気を読んで合わせたほうがいいとか、思わなくてもいいのです。
わかっているのに、本心と逆のことをする自分がいたりする(パターンのなせる技)。
本来は、気持ちよいものではない、はずなんですが、
自分へ嘘があっても感じない人間になっている人は多いかもしれません。

ただ、意識的に「この場では、嘘をつくぞ」と選んでしたことならば、それはそれでいいです。
嘘自体は、悪いものでもなんでもないですからね(ただの一つの体験であるだけ)。
そのとき選んだものが自分にとって、心が軽くなるものなのかどうか、ただここだけを感じとっていけばいい。
たったこれだけのことを、今日一日やっていこう、というもの。

今日は、周囲が共感しあっていたことに、自分一人しっくりこないものがありました。
それは何かのパターンなのかもしれませんが、
『共感しているふりをする』は選択せずに、じーっとただ黙ってそこにいてみました。
正直、一人違うということに、居心地がとてもいいというわけではなかったけれど、
後から変な重さは感じませんでした。
習慣化している小さな嘘の積み重ね。
こういうところで、もう人とコミュニケーションを取らなくても、いいのかもしれない(取らない方がいい)。
嘘をつかなくても相手を尊重することはできるし、他に共感しあう場面ではすればいいし、
自分が本当につながっていきたいところでつながっていけばいいんだ、と思いました。















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