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「国宝」観てきました

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やっと話題の映画「国宝」観てきました。 その日の夜は興奮冷めやらぬで、 繰り返し映像が頭の中に出てきて眠れず、感想も、一言では言えず・・・ 感動したとか、美しさに圧倒されたとか、すごい俳優陣だったとか、 それらもそうなんですが~ もうストーリー全部がなかなか忘れられない作品だと思いました。 まるで映画館が舞台になっているかのような、臨場感でした。 この役作りのためにどれだけの努力を積まれたのだろうって思ったし、 見終わったときに、本当にあった話のような現実味があって、 しばし茫然としてしまいました。 この茫然とした感じは、 「快」か「不快」かといったら、「快」ではないなあと思った。 何か胸が締め付けられるような苦しさというか、怖さというか。 凡人の自分にはまったくかすりもしない、 波乱の人生(天国と地獄)のすごみです。 映画の中では(内容がわかってしまうかも~これからの方はご注意を!) 主人公の生い立ちから心の葛藤は激しく、 芸の道を究めるために非道な道も選ぶ。 その波乱万丈さすべてが芸の深さにつながっていくのですが、 それが自分としては、 そこまでの覚悟をもってしないと何事も成せないのかと、 そう思うと怖いと感じたのです。 昔、カウンセリングの先生が、 出来る限りのつらい体験、絶望の体験をしていたほうが、 クライアントに寄りそうことができると言われたことがありました。 それに似ているというか、 そういう強い覚悟が自分にあるのか?という部分が刺さりました。 どんなこともどんなつらい体験も、 自分に与えられるものをこちらが選べるわけではないし、 それは、自分が望むものでもないんだろうなと思います。 魂の成長のために欠かせないもの。 それがどういうものだったとしても、受け取る覚悟を持て、と。 なんか~わくわくしながら軽い気持ちで観に行った映画でしたが、 まさか、これまで歩いてきた道を自分自身が見直すような、 そんな時間になるとは思ってもみませんでした。 そういう意味でも、観て良かった・・・! 空はもう、秋に突入

謙虚な人間って

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どんな人になりたいのか? という問いを以前しましたが、 今も、できることなら謙虚な人間になりたいな・・・って思います。 でも、昨日の日記に書いたように、 褒められたいとか、褒められたら謙遜するべき、っていうパターンがあることも事実です。 褒められるだけでなく、 何か自分がいいことをしたり、誰かの役に立つようなことがあったときに、 謙虚な人だったらきっと自分からはもちろんそんなことは言わないし、見せないだろうし、 知られても、へりくだったり控えめな態度を取るんだろうなと思ったのです。 謙虚な人になりたいのなら、 謙虚だというところの行動だけでなく、 普段からのそれに値する反応や態度を取るべきだと思っているパターンがいます。 そうじゃないと、人格としての自分は、 とてもダメダメな人間だと示しているようなものだからと思っているのだ。 今も、まだよく分かってはいないのですがー 一つ思うのは、 誰も見ていないところで一生懸命やったら、 あとはもうそれで充分で、そこで終わり。 「そこで終わり」でいいんじゃないかと思いました。 結局、その時の周囲の反応に対しての自分の反応が気になるというのは、 良く思われたい(悪く思われたくない)というパターンがやっているってことなのだ。 そのパターンを受け入れられていないなら、謙虚さはだいぶ先の目標なのかも。 今、自分がすること、ズレないようにしていこう。 レモンティーが飲みたくなるよ~

承認欲求

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認められたい、褒められたい、 っていう承認欲求が強いパターンは感情としても高ぶります。 表面的には、何も感じていないように振る舞えたとしても、 (むしろ、そう振る舞えば振る舞うほど) 心の中ではパターンが大暴れしていることがあります。 あることで他人と比較されて褒められたとき(久々の体験)、 黙っていた私。 あの時、「いえいえそんなことないですよ」と言えばよかったのか? それとも、その比較された他人を認めるような発言をすればよかったのか? どういうことが自分に起きていたのか振り返る。 黙るということは、 褒められたことを否定していないということで、 「その通りです!」と言っているようだなと思いました。 肯定したというのは、やはりうぬぼれだったのか? でも自分自身ほんとその通りだと思ったのです。 自分は確かにがんばっていたのだから・・・。 ●褒められたい、っていうパターンは自分の中にありますが、 ●褒められたら謙遜するべき、っていうパターンもあります。 ちゃんとそこは謙遜して、否定して、謙虚な自分でいなければいけない。 と思うパターンが葛藤していたのかな?と思いました。 そしてもう一つ考えられるのは、 〇もしかしたら、褒められたいって、もう決めつけなくてもいいのかもしれない・・・ という白パターンを選んでいたから、否定も何もしなかったのかもしれません。 もうどっちでもいいと思い始めていたから、 そうなりつつある自分であったから、 反応としては、黙って褒められたままになっていた・・・のか? このあたりの、自分の中で起きた事だけど、一体どういうことだったのか、 ちゃんとみれるようになっていきたいと思いました。 ひと息つきたくなる本

自分を知っていた人

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とある場所で名刺交換をしたら、 10年ほど前に仕事でちょっとだけ関わったことがある方でした。 相手の方が私の名前を見てぴんときたようで、 その節はありがとうございましたとお礼を言われました。 でも、私はすぐにはその方とどこで何で関わったのか思い出せず、 ああ~と、ちょっと笑ってごまかしながら、 頭の中フル回転の猛スピードで記憶をさかのぼっていました。 で・・・、思い出しました! そうだ、あの時の、〇〇さんの担当の方だ。 当時よく電話でやり取りをしたっけ・・・と。 でも、やり取りは確かに何度もしたけど、一度も会ったことはなく、 当時、電話だけのやり取りだったことを思い出しました。 だから、顔を見てもわかるはずがないのでした~ よく、会ってもいない人の名前を憶えてくれていたなあと思いました。 すごい記憶力だと思うし、よほど何か印象深かったのか? 私は名刺をいただいても全然気づいていなかったので、 そのまま知らないふりをされても何とも思わなかったと思うけど、 わざわざ声をかけてくださり、とても嬉しく思いました。 そうか・・・覚えてもらうって嬉しいことなんだ。 10年前に自分も一生懸命仕事がんばっていたんだなと思うと、 もしかすると見ているのは神さまだけではなく、 自分の知らないところで見ている人は見ている。 ってことがあるのかもしれないと思いました。 そして、私も覚えている人、お世話になった人を見かけたらためらわず声をかけよう

毎日書く

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ブログを書く時間は、大体が夕飯作って食べて片付け終わった頃なんですが、 PCを開くと、しばし目を閉じます。 書く前に、精神統一をしている・・・わけではなくって、 眠くなって目が閉じてしまうのです。 気づくとウトウトしながら1時間以上経っていることもあり、 書いている途中で、寝てしまったこともあります。 (PCのどっかのキーが押されて、大変なことになっている・・・) 今とても見たい映画があって、 仕事帰りのレイトショーを見ようと思って、何度か予定を入れようと思うのですが~ 終わるのが23時なので、それだと家に帰って23時半。 ブログをその日のうちに書き終わりたいので、夜の映画をあきらめています。 (でも、今度の土曜日の昼間に見に行こうと思ってる) そんな、やりたいことへの我慢を自分に強いるなんて・・・ これまでにない体験もしています。 夜に時間がないなら、朝に書けばいいと思うかもしれませんが、 お祈りや語りかけを朝やっていたりするので、 朝ってそうでなくてもなかなか時間が作れません。 で、今のところ、夜の方がまだ時間があるということなんですが、 それも今後も眠くさえならなければですね。 そうまでして毎日なぜブログを書くのか? 「継続する」ということをやってみたいと思いました。 今までは、毎日は自分には無理だと思っていたのです。 そう信じていたので、それがパターンだとも気づくこともなく・・・ そして、内容はともかく約2か月が経とうとしていますが、 あれっ?私やれるんだ・・・と、今までとは完全に違う人になったみたいに(大げさだけど) 新たな自分を発見したと思いました。 自分自身が少しずつ前進しているような感覚もあります。 不思議にたまにしか書いていなかった時より、 なんというか、頭でっかちにならず、よし書くぞーっていう気負いもなくなったかもしれません。 たまに、書きおわった後に全部消す・・・ということもあるし、 内容がちょっとちんぷんかんぷんなものもあるし、 なんて偉そうなこと言ってんだーと、後からものすごく恥ずかしくなることもあります。 でも、毎日の習慣として「私」からも応援されているような、 何かをもらっているような気になったりしています。 とにかく続けて自分を鍛えたい! うさぎグッズは癒し