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サンリオ展

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今日は県立美術館でサンリオ展を見てきました。 実はそんなに期待をしていなかったのですが、 入口から歴代のサンリオキャラクターたちがお出迎えで~ な、な、な、懐かしい。 可愛い~い! うわあ、この文房具使ってたあ・・・これも、それも・・・ 小学生の頃の自分にタイムスリップです。 そこで、思い出したことがありました。 学校からの帰り道に、 すごく狭~い店で(子供の自分が狭く感じたほど小さな店)、 ファンシーショップができたのです。 当時は、「ふぁんしーしょっぷ?」 そう言うんだ・・・と、 そこには、 サンリオグッズが所狭しと置いてある夢のようなお店でした。 そして、そのお店には、 ふぁんしーとは似つかわしくないおじさんが店番をしていました。 でも、そのおじさん(といっても、今思えば30代?)、 プレゼントを包むのがとっても上手だったんです! 当時は、自分のものよりも、 友達の誕生日プレゼントを買っていた記憶があります。 悩んで悩んで決めたプレゼント。 それをおじさんは箱に入れて、 きれいな色のキラキラな紙で包装してくれました。 包装紙をちょうどいい大きさに果物ナイフで切り(そのナイフ使いもかっこよかった) 箱に合わせて、角はきっちりとよれないように折り、 きれいに包む。 最後の、 セロテープで止めるところには可愛いシールを上から貼ってくれました。 そんな職人技並みの、 包む様子を見るのが大好きでした。 なんでこんなにきれいに包めるんだろう・・・ お店に置いているものは全部素敵なものばかり。 それを包んだものは、もっと素敵で胸が高鳴ります。 将来私は、このおじさんのようになりたい! と思っていたことを思い出しました。 (将来の夢は、お店でプレゼントを包む人・・・) 今は可愛いの内容も変わり、 サンリオグッズも買うことがなくなりましたが、 見れば小学生の自分に戻るんですね。 あの頃の自分に聞けば必ずや、 これが欲しいな~でも、お小遣いが・・・(限られたお金で買うしかない) と言ってどれがいいか、 真剣に頭を悩ますのでしょうね。 誰かにプレゼントを買う時ってわくわくします。 こういう気持ちって、 ずーっと子供の頃から変わっていません。 〇〇ちゃんが、うれしい気持ちになりますように。 この箱を開けて、 ちょっとだけでもそう感じたのなら、 私もうれしいし、幸せ。 そういう気持ちの...

自分を好きになるには

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この世が陰と陽の2極の世界で成り立っているとき、 本当に悪い心しか持っていない、そういう人はいないということになる。 今まで悪い人、大嫌いだと思ってきた人は、 その人の良いところなんて到底探せなかったし、見えなかった。 ましてや、自分にとっての良いことなんて、 いなければ良いことはたくさんあるけど、居ては本当に困る存在だった。 なんでキライに思うのか? キライだと思う人に対しての自分の特徴として、 その人のことをよくわかっていない、ということが一つにあると思う。 知ろうとしない、っていう自分の癖があったように思う(見たくないしー)。 理解していない分、いいところは見えないのです。 いいところ、というとちょっと意味が違うのだが、 自分が今まで見ていたものとは違う側面です。 反対を言うと、キライだと思っているうちは、 全くその人のことをわかっていない・・・ ということにもなるのかもしれません。 なぜ、その人はそういうことをするのか? と嫌いな人には、常に疑問がわくのですが、 その疑問があるということが、まだその人を分かっていない、心の中が見えていない、 ということを知ったほうがいい。 (自分じゃないから、わからないのはあたりまえなんだけどー) でも、 自分に置き換えるとどうか? 自分を知るために、 他人や環境や条件などではなく、 自分の心の中だけを、それだけを見ていると、 少なからず自分の気持ちがわかってきます。 なぜ、そういうことをするのか?奥の奥の深い理由がわかったりします。 自分への本当の理解が進むと、 ネガティブなことの中に小さな子どものような自分も見えるし、 葛藤しながらも、ただ幸せになりたくて安心したくてそうして耐えてきた自分もいる。 そんな自分は苦しかっただろうし、また健気でもあったと思う。 という感じで、自分ってなんだか悪くはないなあって、 ちょっと好きにもなっていくのかもしれません。 その理解の内容が、 ネガティブさであってもそこに善悪では決められないものがあるんだと何となくわかりはじめ、 嫌いという強い感情がしっくりこなくなるのだ。 この現象はむしろとても自然なような気がします。 そうやって、自分のことがだんだん好きになっていくと、 次は他人に関心が向いてくるように思う(これも自然現象)。 友人、知人、すれ違う人、そして家族、親族(先祖も含め~)に対...

勉強会のテーマ

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先日のクラスの勉強会は、 普段やっているワークを再点検するような内容となりました。 あ~、そこそこ、そこが難しいんだよね・・・っていう感じで、 みな、それぞれの黒パターンについて語り、 白黒ワークの内容全部を発表し合いました。 すごーーーい!勉強になるう~ (提案してくれたHさんありがとう~) 白パターンに何をもってくるのか? また、白の部屋に入ったときに、 どんなことを白パターンは言っているのか? 心を軽くし、希望の光が差しこみ、視界が開けて、そっちへ行きたくなる。 そんな言葉を連ねて、白の言いたいことを代弁していく。 そんな試行錯誤そのものが、ワークのおもしろさです。 勉強になるなあ~という一方で、 白の名前を作るときに、納得する白を作りたいというのが、 自分には強くあるように思いました。 他人が選んだ白についても、 少しでも違和感(自分にとっての違和感)があると、あれこれ考えてしまい・・・ なんだかダメ出ししているかのようになってしまいました。 それは、白とはこうあるべき、 こういう白じゃないとダメという、 自分のパターンが混じっていたのかもしれません。 勉強会では毎回、 私の(クラスの?)課題、『開示をする』があります。 今回はまたしてもパッと手を挙げることができませんでした。 帰り途中で、 はあ~、あれってやっぱり引っかかっていたよな。 「え?」で、固まって終わってしまったのはなぜ? と、ひとり反省会。 本当に小さな「え?」だったけれど、 語ればパターンはやはり落ち着くので、 やはり平気な振りをしないよう、次こそはちゃんとみんなへ話そう。 次回はどんな勉強会のテーマであろうと、 そこはもう何一つ私には関係ないのだ! まだできていない開示こそ、自分のテーマに置いてのぞむぞー やる前から鼻息荒い・・・ はまっています~甘くない甘酒プリン

来月からの〖はじめて講座〗は~

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昨日は〖はじめて講座〗にご参加いただき、 ありがとうございました。 いつも思うのは、 どこの誰だかわからない私がやっていることに、 ( ★ ←私のプロフィール) 何となく行ってみようかなと、 足を運んで下さる方がいることに本当に感謝の気持ちでいっぱいになります。 かつて、自分が師匠のセミナーを何となく受け、 何となくいいかも・・・って思ったように。 人間って「何となく」というものに自分にしかわからないものを信じる力があるのかもしれません。 それが良いのかどうかはわかりませんが、 あ、なんか良かったかも(ここでもまだ曖昧) って思えるような時間になったらいいなと思いやっています。 さて、 今年の1月からスタートした講座ですが、 自分自身クライアントさんへ一生懸命になれる時間であり、 またクライアントさんから私が、 その時の自分にとても必要なことを学ぶ時間となっています。 だんだん緊張感にも慣れてきて、 今日はどんな方に会えるのだろうって、 その日が来るのを楽しみにしている自分がいます。 しかしながら・・・ 普段会社員勤めをしている私は、 今年に入り、本来の休みにしっかり休むことが少なくなり、 少しずつ心も体も余裕がなくなっています。 これでは、自分のケアがおろそかになってしまうし(本末転倒)、 全身全霊でのカウンセリングもできなくなってしまうので、 これからは、月に1回くらいのペース(お一人様限定)で、やっていくことに致しました。 ということで、 無料講座は以前よりも減りますが、 必要な方に来ていただけますようにと願っています。 どうぞよろしくお願い致します! 今日もせっせと、語りかけをし、 いい気分に浸って〜今夜も眠りたいと思います。 今日も一日お疲れ様でした。 アトリエスタジオ もっとロールスクリーン上げれば、空がでかく見えます

自分にとっての問題

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昨日の日記に、苦しい時にどんな言葉を自分にかけるのか? ということが大事だと書いたのだが、 その言葉がなかなか出てこなくて、 時間だけが過ぎていくということもあります。 その間、何が起きているのかというと、 頭の中がぐるぐると混乱しはじめ、 ネットサーフィンをするかのように、次々と考えていることが変わっていき、 パターンの考える言葉で頭がいっぱいになっているんだと思います。 考えるだけ考えて(←この場合の思考はほぼパターン)、 ま、いいか~でもやっとしたまま終わる。 以前は本当にそんなことが多かった。 ま、いいか〜の割には、全然よくなくて。 苦しいこともたくさんあるし、しかも続くし、 面倒くさい、無視、スルーでは済まされないようになってきていたんだと思う。 済まされないというのは、自分自身に対して、 そういう面倒くさいということで何もしないってことに、 何だかそっちの方が不自然だと感じてしまいます。 考えるのは無駄? そもそも考えるのではなく、 感じることが先だったんだ・・・と気づかされた。 自己探求、自己理解というところは、 私が~、私が~って思う自分には合っているのだと思う。 自己ちゅうで、 自分が大事にされなきゃイヤで、 自分の思う通りにならないことにイライラし、 すぐ感情に振り回される私には、 この『自分を感じる学び』が合っていた。 だから本当は誰しもみな、何の心配もなくて・・・ 自分に合った方法で人生を切り開いていけるように、 そうなっているのだと思う。 そのいろいろな方法は、 それによっていかに自分の中の、陰と陽(黒パターンと白パターン)のバランスを取っていくのか? いかに、それをする「私」の存在を育てていくのか? 自分は結局どうありたいのか? 言葉は違えど、そういうことなのではないかと思う。 「自分なんて・・・」と言うときの自分は、 本来の、本当の「私」ではないのに、 そんなネガティブなことを思い、口にして行動する自分が、 それが本当の自分だと、 パターンを本当の「私」だと思っている。 ここに、そもそもの問題があるんだと感じます。 うーん、問題? ではないのかもー。 自己探求をしたい、自分を理解したい、自分を信じたい・・・ あくまで、そう思う人(←自分ね)にとっての問題なんだなあと思いました。 今年のとうもろこしって甘い!