自分を好きになるには
この世が陰と陽の2極の世界で成り立っているとき、
本当に悪い心しか持っていない、そういう人はいないということになる。
今まで悪い人、大嫌いだと思ってきた人は、
その人の良いところなんて到底探せなかったし、見えなかった。
ましてや、自分にとっての良いことなんて、
いなければ良いことはたくさんあるけど、居ては本当に困る存在だった。
なんでキライに思うのか?
キライだと思う人に対しての自分の特徴として、
その人のことをよくわかっていない、ということが一つにあると思う。
知ろうとしない、っていう自分の癖があったように思う(見たくないしー)。
理解していない分、いいところは見えないのです。
いいところ、というとちょっと意味が違うのだが、
自分が今まで見ていたものとは違う側面です。
反対を言うと、キライだと思っているうちは、
全くその人のことをわかっていない・・・
ということにもなるのかもしれません。
なぜ、その人はそういうことをするのか?
と嫌いな人には、常に疑問がわくのですが、
その疑問があるということが、まだその人を分かっていない、心の中が見えていない、
ということを知ったほうがいい。
(自分じゃないから、わからないのはあたりまえなんだけどー)
でも、
自分に置き換えるとどうか?
自分を知るために、
他人や環境や条件などではなく、
自分の心の中だけを、それだけを見ていると、
少なからず自分の気持ちがわかってきます。
なぜ、そういうことをするのか?奥の奥の深い理由がわかったりします。
自分への本当の理解が進むと、
ネガティブなことの中に小さな子どものような自分も見えるし、
葛藤しながらも、ただ幸せになりたくて安心したくてそうして耐えてきた自分もいる。
そんな自分は苦しかっただろうし、また健気でもあったと思う。
という感じで、自分ってなんだか悪くはないなあって、
ちょっと好きにもなっていくのかもしれません。
その理解の内容が、
ネガティブさであってもそこに善悪では決められないものがあるんだと何となくわかりはじめ、
嫌いという強い感情がしっくりこなくなるのだ。
この現象はむしろとても自然なような気がします。
そうやって、自分のことがだんだん好きになっていくと、
次は他人に関心が向いてくるように思う(これも自然現象)。
友人、知人、すれ違う人、そして家族、親族(先祖も含め~)に対して沸く感情が変わってくるのだ。
自分の気持ちを察することができる「私」は、
どんな気持ちに自分がなろうと、
驚きもせず否定もせず、そこで見守ることができる。
そんなふうに見守られ大事にされている自分ならば、
自分以外の人たちもまっすぐ見られるようになっていくんだと思いました。
善い行いも、そうではない行いも、
理解して(わかりたいと思って)見ていると、
そこに好きとか嫌いとか極端な感情は薄れていくような気がしました。
この、感情が薄れていく感覚は自分をとても楽にしていきます。
うさぎがお出迎え |
コメント