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鏡にうつしだす

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仕事帰り、さくらまつりで賑わうはずだった公園のそばを通りました。 夕暮れの電灯に照らされる桜は、特にさみしさも物足りなさも、感じることなく、 おまつりの時の桜と同様、何も変わらず咲いているように見えました。 人間の気持ちによって、植物は可憐に見えたり、明るく元気に見えたり、 また、さみしげに見えたり、何も感じないときもあります。 そのときの自分の心が映し出されている、ということを思います。 ものを言わぬ植物たちがそうなのですから、 感情のある人間を見て、人が自分をうつしだす鏡であることはよく分かります。 その鏡を見るって、ときにちょっと怖さを感じたりします。 見えたものがマイナスのものだったりすれば、それが自分だとは思いたくないからです。 相手の言動に強く反応した自分には、 少なからずその反応と同じものが自分の中にもある、だから感情が動くようです。 相手が誰かを責めているとき、自分も誰かを責めていた、または自分を責めているということがある。 怒りを感じている相手が気になって仕方ないとき、自分も心の奥深くに怒りを抱えていた、ということもあります。 最近、自分の口から、あーまた出たなって思うことば、 かわいそう・・・というのがありました。 これも、相手を見てかわいそうと思うから口に出るのですが、 今の自分にかわいそうだと感じるものがあって同調したくなっているのかもしれません。 そうそう、「なんてかわいそうな自分」って思っていたことが正直ありました。 この目で相手の言動を見て、自分のしていることをまざまざと見せつけられたとき、 軽いショックを覚えますが、妙に納得してしまいます。 今日見た桜は、夕暮れと共にだんだんとグレーがかり、とても静けさを感じました。 一日が終わり、ほっとするような静けさ。 ということは、自分の心はそのとき落ち着いていたのか、ほっとしたかったのか? 桜と月と空と・・・今日も一日ありがとうございました。

共感できなかったときは

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一日の中でコロナの話題が出ない日はありません。 その話題になると、少し前までは、ただ自分が感じているままに話していたのですが、 この頃は、相手が感染について、どのような捉え方をしているのかを探るようになりました。 そこを知らずして、自分が思っていることを話すと、場の空気感が重くなったり、ピリピリさせていたりすることを感じたからです。 普段、会話の中で、たとえ共感できなかったことがあったしても、 そんなに相手を構えさせたり、苛立たせたり、不安にさせたりすることってあっただろうか、 と思うほど、コロナの話題は、この共感するかしないかということにものすごくフォーカスされているように思います。 少しでも共感していないことが伝わったり、対策が不十分だったりすると、 『分かっていない人』『非常識な人』『無責任な人』という扱いになってしまっているような感じさえ受けます。 恐怖心と正当化って、どこか似ている。 情報を人より多く持ち、話し、相手より自分の方が知っているというだけで、自分の方が正しい、になっているような・・・ 自分の考え方に、じわじわと相手を誘導していこうとする人もいます(そうかな?とは言わせない)。 最もらしい言葉で、自分の恐怖心をやわらげているつもりなのかもしれません。 恐怖の中に一緒にいることが、安心だったり常識であったりするかのように、変な団結が組織の中で生まれているような気がします。 もちろん、経営者の立場ならば、会社を存続させるためというそもそもの観点の違いはあるかもしれません。 どっちが正しくてどっちが間違っているということも、大きな意味でいうとない。 あたえられた肉体があっての人間ですから、コロナでなくとも病気の予防はとても大事。 でも、今思うことは、 自分は今どう感じているのか、本当はどうしたいのか、という感覚だけは大事にしたい。 誰かに合わせることもしなくていいし、違うことをアピールする必要もない。 もし、他人に合わせなければ、組織の中で生きられないというのであれば、 『ここでは、最低限の話を合わせる』という選択を本当の「私」がすること(自分もやった!)。 日本人は特に田舎では、村八分にされる(非難され、仲間外れにされる)ことが最も恐れることではないかと思うのです(これ、自分のパターンかもしれない...

ベニシアさん

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築100年の古民家で、ベニシア・スタンリーン・スミスさんの手づくり暮らしを綴った番組『猫のしっぽ カエルの手』。 この番組を、かれこれ何年?楽しみに見ています。 高気密高断熱の今どきの家とは違い、雪深い京都大原での古民家暮らしは、 うらやましいとは簡単には言えない大変なことが、たくさんあるのだろうなあ~と想像しつつも、 花とハーブに囲まれたおしゃれなエコライフを、いつもあこがれて見ています。 家の手入れに庭の手入れ、ハーブを取り入れた手作り料理に手作りお菓子、そして作れるものは何でも手作りする。 これだけでもすごいのに、 イギリス人のベニシアさんが、大原の伝統の中で生きる仲間たちと交わすエネルギーは、 互いの暮らしの中の大事なものを、ますます輝かせていきます。 そんな、大好きなベニシアさんの番組が、このところ再放送が続いていて、 最近の様子が放送されないことが、少し気になっていました。 実は病気をされていて、目が見えなくなっているとのこと。 髪は真っ白になり、背中が曲がり、一見ベニシアさんだと分からないくらい姿が変わっていました。 それでも、友人たちに愛され、家族と静かに暮らす様子は、 以前よりもましてそこにいるだけで人を安心させてくれるような、存在感を消した存在のように感じました。 病気、老い、という人生の中で避けては通れないものを、 どんなふうに受け取っているのだろうか・・・ 番組の中でベニシアさんからのメッセージがながれ、涙がでました。 ーーーーーーーーーーーーー 苦労は人生を磨く 人生は月のように満ち欠けするもの いいこともあれば、悪いこともあります 次に何が待ち受けているかわかりません 予想もしなかったことが起きたり、愛する人を突然失うこともあるでしょう ありのままに受け入れる術(すべ)を、ゆっくりと身につけていくのです そして運命は偶然ではなく、自ら選びとっているのだと気づくのです その瞬間を一生懸命に生きることが、人生を楽しくしてくれる 心を静めれば、美しい世界に囲まれていることに気づくでしょう 幸せは、自分の心次第です ーーーーーーーーーーーーー 「ありのままに受け入れる術(すべ)を、ゆっくりと身につけていくのです」 そうなれるようにと、いろんなことがある人生。 そし...

初エアロビ

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いつもブログを見て下さってありがとうございます。 運動不足は今はじまったことではないけれど、 さも、コロナの影響で、体を動かすことができずにいるかのように言ってしまったわたし・・・ こんなぐーたらなわたしでも、ひそかに楽しんでいることがあります。 じゃーん、エアロビです。 はじめは踊らずずーっと見ていました(さすがだ、自分)。 そのうち、marinaさんの元気で楽しそうにやっている姿につられ・・・ https://www.youtube.com/watch?v=R8yGSd7FTSg 終わった後の達成感、爽快感がはんぱない。 というほど、ちゃんと踊れていませんがー そして、還暦前のおかんと一緒にやってるのも・・・いい。 https://www.youtube.com/watch?v=tMS7SWB0H8E ヨガ派だと思っていたわたしも、ダンスに魅了されています。 それにしても、息がきれる・・・けど、楽しい!

春だった!

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盛岡にも桜前線がきています。 雨が降ったりやんだりの寒い日が続いていますが、雨に濡れた桜もしっとりしてきれいです。 空が晴れてくると、ピンク色の花びらがもりもりっと開いて、うわあ~~~ 思わず声が出てしまうほどきれいで、本当にうつくしい。 桜を見ていると、やさしい気持ちにもなるし、力もわいてくるし、大好きです。 テレビでどこかの桜並木が映っていたのですが、そこへおばあちゃんが歩きながら 花をうれしそうに何ともいいお顔して眺めていました。 「はあ~きれいだごと」 テレビの前のわたしも、 「ほに、ほに」と相づちを打ちながら、笑顔になってしまった。 そして、さわやかな若い男女も来ました。 「なんだか、人がいなくて寂しいですねえ」 「来年はもっとにぎやかにお花見ができるといいですね」 いつも出店が出て、たくさんの人でにぎわうところでの桜を毎年見ているのでしょう。 同じ場所にいても、桜、人、その場所のにぎわい、 それぞれ目に映るものが違っていて、感じるものも違う。 わたしは、このおばあちゃんと同じ。 どんなに冬が長くても、必ず春がやってきて、桜のつぼみがふくらみ、まだかまだかと咲くのがすごく楽しみで、 やっと咲いたなあ、きれいだなあ、幸せだなあと感じられる人でこれからもありたい(出店のタコ焼き食べながら見る桜も好きですけどね)。 今日は、実家の母のところに寄ると、「水仙の花、きれいに咲いていたよ」 と言って、何本か取って新聞紙に包み持たせてくれました。 桜と水仙、春と言えば・・・の、お花。 最近、テレビをなんとなくつけてしまっていることが多く(毎日、コロナテレビを見ている自分)、 本当に見たいものではないのに見ていたかもしれないなと思いました。 そんな合間にも、季節はめぐっていましたね。 待ち遠しかった春が来ていたのに、あぶなく味わい方が雑になってしまうところでした。 今、自分の目の前にあるもの、目の前で感じているものを大事にしていきたい、 と思い出させてくれた花たち。