最悪な結果

最悪の結果にならないようにと、
がんばっていたことがありました。
そうなってしまうと大変なことになると、
いろいろ調べものをし、考えに考えぬいた末、
それでも防げないかもなあ・・・と覚悟を決めた。

その覚悟の後に、
もしかしたらなんとかなるかもしれない?という事態が起き、
自分の中に、そのなんとかしたいものが変化していることに気づきました。

一度あきらめたものが、
あきらめなくてもいいのかも!って希望が見えた。
それならもっと自分の感情は騒ぎまくるのかと思いきや・・・
一旦、違うものを選んだ自分は、
ただその違うものを選んだ(仕方ないな~と思った)だけではなく、
自分が行動する動機そのものが変わっているんだと思いました。

何だかもう成るようにしかならないというか、
最悪の事態だと思っていたけど、最悪ではないのかもしれない。
最悪になった方が、むしろいいのかもしれない。

他人がつらい立場になる、苦しんでいると、
それにかかわる自分もつらく、苦しくなってくる。
非難をあびるだろうし、誤解もされるだろうし、他にも影響が出るかもしれない。
まったく嬉しくない事態になるのですが、
かといって、それが魂的に見たらどうなんだ?と思った。

今の自分をめいっぱい使って悩み、良心にそって考え行動したのだから、
あとはもう、本当に成るようにしかならず、
今々の判断でいいとか悪いとか決めつけるのは、
意味がないんじゃないかと思いました。

そこに自分も苦しくなりたくないから、
『最悪の結果』だけは避けたいと思っていたのかもしれません。

それはやはり保身でした。
相手のことを考えていたと思っていたけれど、
それを一緒に受け止めていこうという覚悟をするまでに、
じたばたしていただけだったんだと。

魂が成長することって何だろう。
こういうところ(苦しいこと)から気づいていくことなんだろうか。

苦しい中にいると、
そこにいるからこその、小さな感謝が何度も現れます。
右往左往して生かされていることそのものが、
すごく大事な体験(魂がやりたい体験?)をさせてもらっているんじゃないかと。

また、苦しさもグレードアップしていて、
それはそれで自分がそれに向き合えるかもしれないから・・・
そういう意味で、ほんの少し温かさみたいなものも感じます。

うーん、
喜び?までの表現ではないかもしんないけど・・・
楽しんでやってみようかな、という気持ちでやってみたい。
体は正直で胸がばくばくもしていますが、
でも、やっぱりこの覚悟と感謝の気持ちをもって、全てに臨んでいこう。

ばくばくしながら今日も、
今の自分ができる精一杯のことをやっていこう。


ゆいの蔵







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