意識的に動く

その時(パターンが騒いだとき)自分がどうありたいのか。
とっさの反応としては、
イラッとしたり、ムカッとしたりということはいいんだけど、
大事なのはその後の行動です。

イラッ、ムカッ、をそのまま行動で現すと、
怒った人がやりがちな、何かに誰かにあたったり責めたり攻撃したり、
また、嫌味な仕返しみたいなことをしたくなる。

そうではなくて、違う行動を取れる私はいないのか?
これを日々練習しているように思います。

感情はパターンが生み出していることだから横に置いておいて、
後からでもゆっくりケアをすればいいけど、
今、リアルに目の前に起きているこの事態をどうするのか?なんだなあ。

まずは、変えられるものなのか、そうではないものなのかを考えます。
変えられないものなら一旦それをジャッジをせずに、
そうなのかあ〜と見届ける。
これが口で言うほど簡単ではないけれど、注視してみようと思うのです。

そして、自分の捉え方ひとつで変わっていくもの、
変えられるものだとわかれば(この見分け方が難しいのだが)変えていく。
ここで自分が取る行動と、心の中の本当の変化とは少しズレというか、
タイムラグがあるような気がします。

なんというか、
良心で動こうっていう、今自分ができる思いつく精一杯の行いは何だ?と考えているんだと思う。
それが反射的に取れるというより、
一瞬考えてからやっている感じがあったので、
その中には偽善のようなものもあるのかもしれないなあと。
かたちとしての行動があって、遅れて心がついていくような。

でも、それでもいいから、
感情のままには動くのはやめたい。

要するに、どうありたいか?という時、
今の自分の精神性が追いついていないとしても、
こうする私でありたいと考える自分で意識的に行動してみる。
それを意識的に選ぶ。
練習ってそういうことなのと感じました。

今日も何かしらパターンは騒ぐだろうけど、
それでお前はどうするんだ?
って聞いて、
本当に気持ちよく軽く清々しくいられる自分はどれか?どの行動なのか?
感じて選べる1日にしたい。



絶対モンスターボールに入らないピカチュウ







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