丸裸になる

落ち込んだとき、腹を立てたとき、
そういう自分自身がイヤだーーー!
っていう時があります。
そういう相手とか何かとかではなく、
自分がもう~ゆるせない・・・っていう時です。
ゆるせないのだから、それはとても苦しいです。

感じることは自由だし、反射的だし、
人としての本能?生理的な現象だったりもします。
なのに、その感情がイヤ、ゆるせないってどういうわけか思うのです。

感情にも理想があって(これ、パターンだけど)、
落ち込まないで凛としていたいとか、
腹を立てないでどっしり構えていたいとか、
不安にならないで平常心でいたいとか、
こういう気持ちでいたいなあと、
その方がなんか人としていいじゃん・・・って思う感情です。

でも、感情は、今の自分の「表れ」でしかありません。
自分が表現されているだけです。
だから、人としていいとか、かっこいいとか、
そういうことは捨てて、自分がどんな気持ちになるかくらいは、
せめてゆるしてあげたい・・・

どんな反応をしても、
どんな気持ちになったっていいじゃないか。

その感情を正直に感じるところから、
唯一、自分を知ることができます。

自分を知るために、その時の感情を見る。
そこにウソをつかずに実感すること。
その先にまさかの、自分の本質が見えてくるのだ。

本質って、自分が「丸裸」になったものです。
隠しているようで隠せないもの。
感情むき出しになるのがなんかかっこ悪いと思ってしまうのは、
丸裸を見られたような気分になるからかもしれません。

でも、人間はみんな裸ですから、
その姿で勝負したいです(勝ち負けじゃないけどね)。

つまり自分の正直な素直な感情をもちながら、
どうありたいか?
そこに、丸裸の自分でやっていきたいのだ。




青山町 覆馬場

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