気になるとき
なんとなく気になる・・・という時があります。
一度は消えかかるけど、
あ、まただ・・・と最度頭に浮かぶ時、
それをちゃんと考えた方がいいんだなと思うことにしています。
頭の中はいつも何かしら考えるようになっていて、
それは自分が困る心配事から他人や家族が困る心配事まで、
すべてが、自分の思い通りにいかなかったらどうしようって、
想定外のことを不安に思う、恐れがそうさせているのだと思う。
そうなったら、対処できないとか、
自分がイヤな思いをすることを避けたいとか、
そこに抵抗しているのだ。
そんなとき、ついやってしまうのが、
その、気になることへの対策です。
自分の思う通りにいくためにはどうしていったらいいのか、自動的に考え始めます。
でも、その対策は、どういう気持ちでやるのか?
その時に自分の状態を見るようにしています。
こういうときこそ、
自分をよく見た方がいいときなんだと。
自分がイヤな思いをしたくないためなのか?
それとも、誰かが困らない(大変な目にあわない)ようになのか?
何のために誰のためにそれをするのか?ということに注目したいです。
その中に自分を守るためのものも時にあっていいし、
今は、自分を大事にしていこうということもあっていい。
ただ気になることの中には、
パターンで考えることも多いので、それで行動してしまうと、
表面上は収まっている感じはするけれど~
本質的にはなんだかな~という結果になりがち。
あまり考えることをせず、
何かに集中しているときや、くつろいでただいるときに、
はたと気になりだすものには、
これは高確率で動いて良かった~というものが多い気がします。
それ自体、もう考える間もなく動いてて・・・というものは、
結果的に心配無用だった~ということもあるけど、
それでも一つの確認作業のように動けたことが、
さらに良い方向へ向かう気がします。
ちょっと話は逸れますが、
このところ試されているのが、スーパーでの買い物。
パッと目につくものを、
高いからやめよう~って値段で考えたり、
今日じゃなくてもいいか~って(やっぱり値段で)考えたり、
それを何度かやっているうちに、
やっぱり買った方が良かった・・・
ということが多いことに気づいたのです。
その食材に合うものが冷蔵庫にあって、あれがあれば一品作れたなとか、
お風呂あがり、その飲み物が無性に飲みたくなったり、
夫がそれが家になくて残念がっていたり。
かなりの確率で、スーパーで気になったものが、
必要なものだった!という結果になっていることが多いと(あくまで自論)。
だからといって、
気になったもの全部買うわけにはいきませんが、
最近は、その自分のセンサーをかなり信じるようになりました。
たまに、家族も同じものを買ってきていたということもあるけど、
それはそれで、気にかけてくれてたんだねと、
「ありがとう」を言える機会をもらう。
そういうことで、やっぱり良かったな~となる。
何かが気になるというとき、
それをより良い方向へ向かうために、
(表面的な良い結果ということではなく)
みんなのことを願って気になることを使っていきたいです。
こんなぬり絵があったら、ぬりた~い |
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