のんびり行こう

今朝の盛岡の気温は8℃ 
急に秋になった感じがして、味噌汁がすごく美味しく感じます!

今年は車中泊の予定が全部大雨にあたり・・・
本当に行けなくてがっかりだったんですが、
その度に、遊びに行くなー、ただただ休め~
と言われている気もしていました。
そして、私のことだから、
旅先で美味しいものを食べないわけはないので、
今回も出かけなくて良かったかな・・・と体重計に乗って思う。

春以来、ほったらかしにしていた庭の雑草を取りました。
面倒だなと思っていたけど、
やり始めると、なんだかちょっと楽しくなってきて、
以前はもっと土を触っていたなあって、
何かもっとのんびり生活したい・・・と思いました。

「頑張れば、何とかやれるんだけどねー」
忙しいときは、あとひと踏ん張りだって、何に対しても頑張ることができる自分がいる。
ちょっと頑張るってことが、いまだ身についているのかもしれません。
できないわけではない~っていうことは、
でもやはり頑張っている(無理もしている)ことには変わりない。
これ以上やれないとわかっているところで毎日を過ごすのは、とても危ういです。

そして、その危うさはいつでも変えられるって思っている自分。
いつでも変われるという気持ちがあるのは、今はまだ変わっていないってこと。
ここに気づいていなかった・・・ 

時間の使い方を考え、母への優先順位を考え、
仕事の仕方を見直し、どこをどう手を抜こうか?
あれもこれもしたいという自分の欲(パターン)があり、
そう、欲張りすぎた結果、止まれなくなっていた自分がいたなあと思う。

そこから少し脱して、
頑張らなくても送れる生活に近づいてきたつもりだったけど・・・
まだまだだった。

土を触ってうっそうとした庭が少しさっぱりしたら、
すごくほっとするような、懐かしいような、
何か、ここに居たい~って思うようないい感覚を感じたのです。
あ、これだこれ。

夢中になっているので、腰が~足が~で疲れ果て、
その後の予定を変更してお昼寝。
ああ、こういう生活を、もっとしたかったんだな、わたし。
同じ頑張るにも、こういう頑張り方、疲れ方が心地よいのです。

自分がいいなと思える生活のリズムは、
頭で考えるより、体の方がわかっていました。
パターンの理想について、体はそのパターンに共感しないんですね。
ついていこうとはしない(私の体、偉いよ)。

頑張ればできるから、やる・・・は、
体としては、魂としては、ちょっと違うかもよになるのかも。

そして、いい感じ~を本当に感覚としてわかるために、
あえて違うことをさせる本当の「私」もいる。


先に洋ナシが食べごろ~








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