心のことを学びあう
今日は岩手クラスの勉強会でした。 『勉強会』は、できてないことを勉強しあう場、練習の場、です。 まず、ここへの意識を持つことが私には大事なこと。 先月からの私の目標であった、自己開示は何とかやれて、 やってみると、怖いものでも何でもなく、 以前よりも軽さと温かさがあることを感じました。 この以前との違いも感じられて良かった! この場で言うところの開示って、 あなたのその言葉に引っかかるんだと、打ち明けることです。 でもそれはあなたのせいではなく、自分がケアを怠ってきたせい。 だから、教えてくれてありがとう・・・ 何も知らない人に言ったら、ケンカ売ってんのか? と誤解されてもおかしくないことをやっています。 もちろん、相手を否定したくて言えば、 その通りの結果を自分がもらうだけで・・・ なぜそれを相手に言うのかをちゃんと考え、 どんな気持ちで開示するのか。 ケアができる相手を信じているからこそ話せます。 そこがとても大切で、 自分のパターンに気づけたこと、本当にありがとうって思いました。 自分の成長は、 自分自身を見ない限り有り得ないわけで、 それは、グループ内での人間関係に表れてきます。 自分を見れていないうちは、他人も見れていないし、 自分へできていないことは、もちろんグループのみんなへできるわけがない。 あたり障りのない言葉ほど、 パターンがそれをやっていることが、お互いにわかってしまうのだ。 そういうことを感じながらも、 ここは職場ではないし、家庭ではないし、 月1回ほど、セミナーと勉強会で会うだけの人たち(ドライに言えば)。 でも、心のことを学びあう大切な仲間なのです。 やるのは自分(個人)だけど、 本来なら共に学ぶの仲間には何でも話せるってなりそうなものなのに、 これがこんなに難しいことになってしまい、 本当に不思議な関係。 誰々より自分の方がちゃんとやっているとか、 できるとか、 またはその逆で、 誰々より自分はやれてない、できてない、それらを知られたくないとか。 他人に引っかかる自分の心も責め、またモヤモヤしている。 それでもこの場が終われば、 喉元過ぎれば熱さを忘れるでいつもの日常へ。 パターンの対象は、なぜかいつもグループ以外の人ばかりだったように思う。 そうやって、 後回しにし続けて10数年経ってしまった。 が、しかし・・・ 今回はブスッと風穴が...