この時だから思うこと

戦争でたくさんの人が体験した恐怖は、
どんなに想像しても、自分には分からないことがたくさんあるのだと思います。
家族や親族、友人が亡くなるという体験はしてきても、
戦争で失ったその悲しみとの違いは・・・やはり、分かりません。

でも、その体験はなくても、
自分にとっての恐怖、そして悲しみ、不安というものは、
今のこの時代に生まれ、
この国で暮らす自分であるから与えられたものがあるように思います。

悲惨な時代を生きた人や、戦争のある国に生まれた人のように、
特別な体験は、今世の自分にはないかもしれませんが、
でも、そんな激しい体験ではないにせよ、
他の苦しみから自分の魂を成長させられるものを見つけ、
その課題に取り組みたい・・・

それは、他人からみたらほんの些細な小さなことかもしれないけれど、
その小さく見えるものですら、勇気を持てず、
一歩を踏み出せない自分もいるのです。

戦争での体験に比べたら、そんなこと?
と思うような苦しみにも、
自分は向き合えずに、無視をしようとしていたりするのです。

悲劇さを比較するのではないけれど、
自分ではとても耐えられないような、
非現実のような世界に住んでいる人もいるのに、
本当に小さな小さなことで、イライラしたり腹を立てたりする自分って、
じゃあ何を持って自分は成長できるのだろうって思います。

でも、それと同時に、
今ある幸せを素直にかみしめたいという気持ちもあります。

そんな小さなことで感情がわき、
パターンが騒ぎ、
こうして自己探求のワークをやっては、
ああ、また少し自分のことが理解できたかもしんないし、
昨日より少し長くパターンと共にいられたかもしんない・・・
と平和の中にいて思うのです。

すごーーーく地味なことやっている。
他人から見ればそれはどうでもよくて、そんなことしなくても生きていけるもの。
なのに、そこに惹かれてしまう自分は、やはり自己探求の道を歩いて行きたい。
たったそれだけなのかもしれません。

そして、それができるだけの環境が用意されていることに、
感謝しかないのです。

私は今、戦争を体験していなくても、
ご先祖様の中には経験をした方々がたくさんいると思います。
どうか私にもその最中にあるたくましさ、力強さ、
覚悟を自分も持てるように。
また、柔軟さ、知恵と工夫、優しさ、
生きる力を今の自分に学べるよう、力を貸していただきたいと思いました。

まだお盆に早いけど・・・
どんなご先祖様がいたのだろうって、いろいろ思いをめぐらせています。
私がやっていることが、自分だけのためではなく、
誰かの何かの役に立っていくことを信じて、
来世のために、
自分を見続けていきたい。


こ、こ、これって・・・



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