苦しいときにこそ、すること

苦しいとき、何をどうしたらいいのか全くわからなくなる時があります。
もう、頭の中はぐるぐるしていて、
心はズタズタで、自分はもうだめだな・・・って時、
どうやって心を立て直していくか?

一つに、
それを考えることを止め、
気分転換になるものや、好きなこと、仕事に没頭するなどして忘れる時間をつくる。
というのもあると思います。
確かに、そういう時間が必要なときもある・・・のですが、
これをずーっとやり続けていると、
パターンが大きくなったり、強化されたり、
また形を変えて複雑化したり、
ということが心の中では起きています(目に見えないけどね)。

パターンのケアができればいいのですが(実際は問題山積みであっても)、
すぐにそうできないとき、
何からやればいいか・・・

意識を向けるのは、
その状況で、その状況だからこそ、
どんな言葉を使うのか?・・・です。
口から出る言葉だけでなく、
表情も、姿勢(態度)も全部含まれています。

自分が悪いとわかっているのならば、
まずは心の中で謝り、自分が悪かったことを認め、
これからどうしていくのかを丁寧に真摯に相手を思い(祈り)ます。
その思いの中の言葉は本当のものであるし、
体裁もなければ、自分を正統化するものでもなんでもない素直な気持ちです。

そうして、感じ取ったものを持ちながら言葉を紡ぎ、
実際に相手に対して、丁寧に思いやりをもって話していく。
また、優しい笑顔をつくってみる。
姿勢を正し、下を向かず胸を張ってみる。
そうやって意識的に自分を変えていくのだ。

また、自分ってだめな人間だ~~と卑下したくなったら、
あえて前向きな言葉を考え、
「大丈夫、大丈夫」「だめではないよ」と言ってあげる。

また、誰かを責めたくて憎くてしかたかなったら、
「ごめんなさい」「教えてくれてありがとう」「いつかはゆるせるようになろう」
と、まだ全然そうなってはいない自分に向けて、
そうなってほしい言葉をかける。

形から入る?
ということをやっているのかもしれませんが、
苦しさに襲われているときは、
何かに執拗なまでに執着している自分がいる気がします。
でも、それが何なのかわからないうちは、
苦しんでいる自分にどんな言葉を投げかけるのかを、考えてやってみる。

「私」の資質の中にある、
柔らかで優しく素直さがある言葉を選んでいくと、
ちょっと心が静まるようなときもあるし、
さほど変わらないときもあります。
でも、このさほど変わらないと感じたときが大事(まだ苦しいよ~って時)。
それでもここで継続して、自分を励ませるかどうか?

すぐに楽になることだけを求めているうちは、
何も変われないじゃないかと思うようになりました。

やってすぐに効果がないと止める。
努力を面倒くさがるのが人間なのかもしれませんが、
だからこそ、苦しさも葛藤も何度も与えられていくのだと思う。

自分から発する言葉の積み重ねで、
良くも悪くも自分という人間を創っていく。
苦しいときは、
ここが本当に大事だなあと思うこの頃です。


三陸の海 いつまでも見ていられる~~













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