黒パターンへの感謝

先日の気づきから、
白い部屋(白パターン)から聞こえてくる声を忠実に、
でも、明るく希望が持てるようなものを選んでいます。
そして、白黒ワーク全体を丁寧に、はしょらないで(はっしょってたことにも今回気づいた)、
声に出して響かせ「私」を誘導しています。

そうしてみて、また改めて気づいたことは、
白い部屋に入った後に、
そこに心地よい感覚がした・・・と同時に、
感謝の気持ちが余韻のようにわいてくるのでした。

感謝って・・・何に対して?

黒パターンが思うような経験があったからこそ、
白の部屋(白パターン)が見つけられたという、
その大きな流れと言ったらいいでしょうか。
苦しさ、悔しさ、つらさがあっての、
でも、ありがたさなんだなあと思いました。

黒パターンで捉えている間はとても苦しいです。
その苦しさの中にずっといたくないから白を選ぶ、
ということもあるのですが、
やはり、それを選んで、
いつまでも黒パターンだけの世界に居続ける自分は違うって思っているのです。
もう黒はさんざん使ってきたので、
違うものをこれからは選んでいこうとする「私」の意志があるように思う。

その意志は、違う世界へ行くということだけでなく、
今までのものも持ちながら、
つまりは黒パターンを持ちながらも、どうありたいか?
ということを問われているのですが、
それが、ふと、過去の経験って自分にとって何だったんだ・・・
ありがたいことではなかったのか?
その時の自分にこんなにもふさわしい体験だったのかと思いました。

むしろ、この経験なしでは進めないほど、
自分に必要な白パターンを知るための黒パターン。
人間万事塞翁が馬なんですね。

そして、白黒ワークをした(選び変えができた)からもう終わりではなく、
何度でもまた、黒パターンに飲みこまれそうになる。
それでも、
もしかしたら、自分を信じてやってみること、
その力になった経験を積んでこれたと、思えるようになってきているのかもしれない。
そんな気がしました。

だから、自分を信じて、
のびのびとこれらからもやっていこう。
ありがとうの気持ちといっしょに・・・と、思いました。

感謝という言葉。
何だかお盆にふさわしい感じがするう~
ご先祖様がヒントを出してくれたのか?
と想像してしまいました。
いつも見守ってくれて、背中を押してくれてありがとうございます。


お盆に関係なく、カレー


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