語りかけで見えること

自分のパターンが見えてきたら、
そのパターンの気持ちを代弁してみます。
いわゆる『語りかけ』の文章を作るということなのですが、
その工程では自分自身の本音をなるべく出します。
決していい子ぶらないで、ありのままで、
深く深く本当の気持ちだけを見て掘り下げていく。

これが、自分と向き合うという作業になるのですが、
はじめはとても抵抗を感じるかもしれませんし、
一人でやっていると難しさを感じるかもしれません。

語りかけ?
それをやって、一体何になるんだろう?
パターンに語るって、ちょっとナルシストっぽい。

なんて、半信半疑ではじまったとしても(それでも大丈夫)、
真摯に自分に向き合うという体験は新鮮です。

パターンに、なぜあなたはそう思うの?
と聞く。何度も聞く。
そうしてやっと、今まで見えなかったものが言葉になって形を表します。

このパターンへの語りかけを今やっているんですが、
相手非難の、真っ黒な心の声が出てくる出てくる・・・

そして、それが一通り出たときに、さらになぜそうあなたは思うの?
この問いで、
また自分の深い闇への扉が開きました。

パターンの言い分は、
だってーーー、
相手が無責任な仕事をすると、自分に火の粉が飛んでくるし、
代わりに責められるかもしれないし、自分の評価まで落ちたらいやだ・・・

なんと、
自分に対する不安がいっぱい出てきました。
それら、自分が蒔いた種ではないのに、
自分が蒔いたかのようにちょっとでも誤解を受けるのがイヤだったんですね。

また、無責任は悪いことだと、
許されるべきではないとパターンは思っていました。
そういう仕事の仕方をしている人を見るのが、
自分は耐えられないのです。
その態度はやめてほしい、自分をこんなに怒らせないでほしい・・・
と、パターンは思っていたのでした。

これも、相手側の視点ではなく、
あくまで自分がそこに耐えうる力がまだない、という自分側の視点です。
だから、自分が耐えられないことをする相手には、拒否反応だったのだ。

引っかかったときは、まだここまでは見えていませんでしたが、
結局、無責任さを責めるというより、
自分がその事態で被る被害を想定し、それに耐えうる自分ではないから、
怒りの中には不安と恐怖もあったということです。
悔しさと空しさ・・・だけではなく、
そこに自分が耐えられないという不安感や恐怖心が怒りの元だった。

こうして語りかけは、
自分を裸の状態にして、
自分がもっとも見たくなかったものも教えてくれました。

隠れていた不安と恐怖にやっと光があたりだすと、清々しさと軽さが全体に広がっていきます。
この感覚です!

やっぱり語りかけってすごい。


ブルーを見ると、涼むよ〜


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