言うか言わないか

言うか言わないかで迷ったことがありました。

相手のできていない部分をできるように教える、ということがあったんですが、
こんなふうにするといいですよー
って私から伝えなければならない場面でした。

でも、自分とその人との関係性はできているだろうか・・・
相手の方が、「教えてもらった」と感じなければ、
それはただのダメ出し、否定、こちらの小言?になりかねないんじゃないかと思いました。

でも、そう思われたとしても、
それが自分の役目であって、
言うことが相手のためになるという考え方と、
相手の様子を見ながら、
今は言わずに見守ろうという考え方があります。
この時、
後者の方がいいなという直感があった・・・

なのにー、
結局相手の話も聞いたうえで、
言う(教える)ことにしたのでした(言わざるをえない状況になった)。

やり取りしている途中で、なにか心がもやもや・・・引っかかります。
相手の話しを聞いているうちに自分のパターンが騒ぎだし、
それを横にいったん置いておいて話す(「私」で話す)、
というところがちゃんとできなくなったのです。

自分がパターンのケアができていなかった。
という話であると同時に、
はじめに言うのをためらった(ダメ出し、否定、小言にならないだろうか?)
頭の中で想像した通りに、
その通りに現実がなったように感じました。

ここで、量子力学的なことが起こっていたのかもしれません。
そう心が思っているから、そっちの方に行こうとする素粒子たちがあった。
中立に、中庸的な視点で物事を見て、
心をケアして白の感覚で話すことができたなら、
その素粒子たちは、
「教えた」「教わった」という単なる事象として動いたのではないかと思いました。

私がちゃんと白の感覚にひたりながら相手の話を聞いた上で、
また、白の感覚にひたりながら教える。
これをしたか、しないのかの違いなんだなあ

こういうことって、
日常的によくあることかもしれません。
教えたけど、何か伝わらなかったなあ~
言わない方が良かったかな~
そう思って終わり。

次にどうするかを考えたとしても、
相手の顔色を見ながらやる、ますます熱く教える、
もう、なるべく言うのをやめる。
表面的なところで自分がパターンを騒がせないように、
いろいろと模索するのだと思う。

でも、そうではないところで見れる力を養いたい。

・直感を大事にする
・パターンのケアをする
・白の感覚にひたってから白を選ぶ
・中立ワークで中庸を(ただ一つの体験だと)知る
・それを言っているのは誰か?と問う
・自分はどうありたいのか?と問う

等々、こんなにたくさん自分を養う方法はある(まだまだ他にもあるよー)。
方法がわかっても、それらを使っているかどうか・・・なのだ。



パチパチ燃えてる炭









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