人生を終えるという時に思い出すもの

昨日はアイーナでの【はじめて講座】でした。

毎回、心のカラクリをお伝えしていますが、
参加された方が必ずと言っていいほど、
小さい頃どんなふうな子どもだったか?
また、どんなふうに自分が育ったかということを、
自然に話してくださいます。

そういう話をしてくださいとは言っていないのですが、
パターンの話の後に、不思議と、
小学生くらいか、それよりもう少し小さい頃のご自身を、
思い出すような感じがあるように思います。

その子ども時代に、両親や周囲にいた大人たちに言われたこと、育った環境や受けた教育、
つらい体験などから自分自身が繰り返し刷り込んできたものが、パターンと呼ばれるものです。
もしそのパターンが自分だと思い生きてきたなら・・・
「そういうことだったのか・・・」と
その人にしかわからない、腑に落ちる点があるように思う。

みんな何もわからない子どもだった。
一人では生きてこられない、小さくか弱き存在だった。
だからこそ、心の中にパターンを作りながら育ってきたのです。
そうして懸命に生きてきた自分と、
その自分自身をいつも側で見守ってきた本当の「私」という存在もあります。
心のカラクリは、
その2つの存在を感じられる時間でもあるのだと思いました(肉体も入れると3つ)。

TVドラマで、
もうこんなふうにしか生きられないと思いこみ、苦しみ続ける主人公が、
棺桶のような箱に入り、人生を振り返るシーンがありました。
自分が今からもう死ぬという時に何を思うのか、
想像する(確かめていく)のです。
目を閉じ、今からもう自分は人生を終えるんだという時に、
一番自分が大切にしたかったもの(人)を本当に大切にできただろうか、
後悔していることは何なのか、
また、自分はこういう人生を本当に送りたかったんだろうか、と回想します。

そして、
こんな自分じゃ嫌だ。
もっとこんなふうに生きたかったんだ、と目覚める・・・
そうです、まだ生きているからやり直せるのです。

本当の「私」で生きた人生だったんだろうか?
この問いができたらもう、
あなたのいる世界は変わりますとドラマでは展開があります。

心のカラクリを知るというのは、
こういうことなんじゃないかって思いました。
今、自分だと思っているのは本当の自分ではない。
だとしたら、今見えている世界でやり尽くして生きていこう。
そのための、自己探求なのだと思う。

ちょっと話が飛躍しましたが・・・

講座では、パターンを感じながら、小さな子どもを感じながら、
そして「私」を感じながら、
軽く楽しくライトにまたやっていきたいと思います。


真っ白なコーヒーカップもいい!



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