グループで学べること
先日はクラスの仲間との勉強会でした。
一つの出来事に対してそれぞれの解釈が違うのは、
持っているパターンが違うということなんだとは思いますが、
それは取り組む課題も違うから・・・と感じます。
そしてその課題に取り組むのは、
自分自身であることには変わりないのですが、
グループで学んでいる私たちにとって、
あえて、個人ではなく『グループで』っていう意味を考えたい。
一人ではなく、他者のいる中で学ぶというのは、
それぞれの課題で他者を使って練習する必要があるということです。
その一つに自己開示があります。
グループの誰かが言った言葉、態度、あり方に、
自分のパターンが引っかかったことを見逃さずに開示する。
この練習、もうかれこれ何年?挑戦しているんだろう・・・
私は今回、引っかかったことがなかった・・・わけではないのですがー
それがあまりにも小さなものだったので(何を基準に小さいと言っているかは謎)、
とっさに開示しようと思いませんでした。
でも後から、
今日の勉強会を振り返ったとき、
あの言葉ってな~んか変な感じしたな・・・
と思うことがありました。
変な感じ?というのは、
確かに何かしら自分のパターンが引っかかったということです。
でも、何のパターンなのかがすぐには分からず、次の話題へと進んでしまった。
もし、あの時、
「あ、よくわからないけど、なんかその言葉に引っかかるんだよねー」
などと言えたなら、何かが変わったのではないかと思いました。
自分が理解していないままにそれを口にするのは抵抗がある?
●間違ったことを言ってはいけない
というパターンっぽいです。
他者に対しては、
間違ったっていいじゃん!と軽く言えるのですが、
自分自身のことになると、そうはならなかった。
ということは、もしかすると本当は他者に対しても、
間違ったっていいとは思っていないこともあるのかもしれません。
それは相手が間違えることで、自分が少しだけ安心するような優位に立てるような、
動機不純からくる「いいじゃん!」もあるのです。
相手にそれを言う、私の動機って何?
そこらへんをよーく見たいと思いました。
それをして(言って)、自分は何をしたいのか?
自分の心の中を裁かずに、
相手に対してのパターンがあるということを、自分がわかり、ゆるし認める。
そして、だからこそケアしていくことを宣言し、
そのきっかけを与えてくれた仲間にお礼を言う。
開示をする。
その目的をちゃんと見失わないようにしよう。
そんなことを練習できるのは、
やはりグループで学ぶからこそ~
一人でもくもくとやることだけが学びではありませーん。
これからもみなさんには練習台になってもらいますよ〜
いつもありがとう!そして、これからもよろしくです。
大分シロップらしくなってきました! |
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