普段やらないことをやってみる

昨日はオガールでの講座でした。
お一人の方と心についてのお話ができて、
じっくり対話ができるこのスタイルが私には合っているなあと思いました。
また、それがいいと思う方が来て下さるようになり、ちょっと嬉しく思います。
ご参加下さりありがとうございました。

さて、帰り道、
雨にぬれた緑いっぱいの田んぼの中を車で走り、
先月から一気に大きく立派になった稲を見て(急に伸びた?)・・・
自分って成長しているだろうか?
と、ふと思いました。

自分が今どうなっているのか。
ちゃんと見れているのかな。

自分を知るほどにいろんな感情があることを知ります。
そしてそこには喜びや感謝があるのだけれど、
反省や後悔、これからあらためたいものも多くあります。
いつもの反応といつもの習慣。
これが自分だという思い込みに気づくことがなかったら、
ずーっと変わらない自分がいただろうなあって思います。

いつもと同じ場所(領域)にいて、
いつもと同じ考え方と言動を取っていては、
自分の意外性、未知なる姿を知ることはなかったでしょう。
多少の年齢から経験してわかることはあっても、純粋な「私」が指揮を取る人生を生きていくのかは、
自己探究がなければわからなかったと思う。

そう、自己探究は、意外性の連続なのだ。
いつもの選びなれた考え方や言動とは真逆なところにあるのが、
実におもしろい(←って福山さんも言ってた)。

今までの自分だったらそうしないなあ~
って思うようなことをあえてやってみるのも、おもしろいです。
いつもなら、こんなふうに自分は話していたけど、
それとは違うものを考えてみるとか、
思いも行動もどちらも一担やめてみるとか。

本来はちゃんと心で浸って、
それでいい感覚の方を選ぶということをしますが、
先に行動や話すことを変えてみるということも最近やっています。
形から入る・・・ような感じですが、
やってみたら、それは無理やりの我慢でもなくて、
意外な自分を発見するような感じもありました。

普段の自分だったらやらない言動。
その体験は、自分の殻を破る疑似体験でもあると思いました。
あ、なんか、こういうことも自分はできるのかもしれないと、
自分の可能性をちょっと先に見せられたような気がします。

そういう心の遊びというかゆとりというか、
決めつけのない、制限のない、いろんな状態を受け入れられることも、
心の成長の一つとしてあるのかなと思いました。


お昼は蟻さん♪






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