その声は・・・

昔、ほとんど声が出なかった期間があり、ふとその頃のことを思い出しました。
話すことにとてもエネルギーを使っていたなあ、と。

声がかすれる、呼吸がしずらい、咳がでる等々。
病気の後遺症なのですが、
なかなかあきらめきれないものがありました。
当時は、ナースコールで呼ぶにも看護師さんは私の声が聞き取れず、
一年くらいは、話の途中で何度も休憩をとっていたような調子でした。

そうなる前は、単なる声を出す、話す、というあたり前のことに、
意識を向けることなどなかったと思います。
でも、今は昔とは比べものにならないくらい出るようになりましたが、
人前で話すことがあるときは、
いつもより少し無理がかかるため、
自分の全神経がそこに注がれる感じがあります。
『がんばって声を出すぞ』と、勝手に体が集中するような感じです。

先日、いつも声が小さい方に、
就労支援の場面で指摘しなければならないことがありました。
もっと相手に聞こえるように意識して話さないと、
それは話していないことと同じになってしまうよ・・・と。

自分が声が出なかったときにいやだったことは、
身体的な苦しさや、音としての声質もいやだったですし、
人と意思疎通ができなくなることもつらかったと思います。
聞き取れなかった相手は、
だんだん聞き返すのも面倒になって、
話すことをあきらめてしまうこともあるし、
自分も、ま、いっか・・・であきらめるようになる。

そんなふうに周囲との関係性が悪くなってしまっては、
と思い言ったのですが、
自分がちゃんと声を出したい、相手に話を聞いてほしい、
と本当に思わなければ、それはできないことかもしれないと感じました。

声への指摘って、なぜかしずらかったりしませんか?(自分もたまにある)。
声が小さくて全然聞こえなかった~
って後から聞かされることがありますよね。
自分の耳が遠いだけなのか、
話を折ってはいけないと思うからなのか、
それとも、声は体の一部であるからそこを指摘するのは失礼なように感じるのか?
全部パターンが思っていることです。

また、声が小さい人は、比較的耳がよいというか、
聞こえるという感覚が過敏な人が多いようにも思います。
だから、自分自身も小さな声で十分聞こえていると感じているかもしれません。
どんな声の人であっても、その人の話を聞きたいのかどうか、
自分側の問題なのでしょうね。

しばらくぶりに会った方から、私の姿を見る前に、
「その声は、あなたしかいないと思った~」と言われたとき、
ああ、これ、私なんだ。
私はこの声でいいんだ!と思いました。

自分にあるものをこれからもいたわりながら、
大事に使っていきたいです。












コメント