変わらないこと

26年前に出会った方から思いがけず手紙をもらいました。
秋田の玉川温泉というところで出会った方でした。

当時わたしは、その温泉地でひと月ほど一人で湯治をしていました。
湯治というのは、病気療養のために自炊して泊まりながら温泉に入り体を癒していくというもの。
ガンが治癒した方の話が有名になり、全国からたくさんの人がその温泉旅館や周辺の湯治場に訪れていました。

藁をもすがりたい気持ちというのはこのこと。
その頃の自分は体力もない体調もよくないそんな状態ではありましたが、
退院と同時に山に向かったのです(今思えば、よく親が行かせてくれたなと思う)。
桟橋を渡るしかそこに行けない湯治場は、宿というより小屋みたいなお粗末な造りで、
4畳半の部屋にはまるで外のように虫が普通に歩き、窓はすきま風でガタガタいい、
ちょうど今くらいの季節でしたので、それこそ夜は温泉に入らないと眠れないような寒さでした。

そこで毎日、夜明けとともに起きては山を歩きました。
日中は岩盤浴ができる岩肌で寝転がったり、
病気に効くと言われる源泉に何度も入りに行ったり、
大自然の力で治療をしているような感じでした。
食事は質素な玄米菜食。
歩く、よく噛んで食べる、温まる、山の気をめいっぱい吸う・・・
テレビも何も娯楽はなく、
そんな、浮世離れしたような生活がとても楽しかったです。

首にタオルをかけ、ござ(岩盤に敷くためのもの)を抱えて歩く20代女子はほぼ見かけませんでした。
病気を治したいという真剣さ、必死さはあの場所では恥ずかしいことではなかったような気がします。
ここでは格好つけなくていい、じたばたしてもいい、そういう場所だったように思います。

そこで出会った人たちとの交流は、普段の暮らしでは考えられないほど濃いものでした。
いつも会うとおもしろい話をしてくれた人、岩盤浴の場所を譲ってくれた人、汗をぬぐっているとお水を分けてくれた人、おにぎりや温泉卵を差し入れしてくれた人、隣り町に買いだしに連れていってくれた人、のぼせたわたしを介助してくれた人、ヒーリングやスピリチュアルなことを教えてくれた人、いつも遠くから手をふって笑ってくれた人、などなど。

わずかひと月にも満たない期間で、
自分がしてもらったことばかりが思い出されます。

手紙をいただいたその方も、とてもとてもお世話になった方。
でも実のところ、ほとんどお顔を思い出せませんでした。
そのことをそのまま正直にお伝えすると、その方は当時の様子を自分に教えてくれたのでした。
そして何よりも、わたしが元気でいてくれたことを心から喜んでくれました。

あれから26年。
そのお手紙をもらって思い出したことがあります・・・というより、
わかったことがありました。

それは、
今もその時もずーっと変わらず自分は幸せだった、ということ。

苦しさの中に、辛さの中に、
どんな状況の中であっても支えとなってくれた人たちが見渡せばすぐそばにいたのです。
そしてそれはその時だけのことではなく、
灯りのない真っ暗な部屋に一人寂しくいるあの頃の自分の元へ、
いつでも優しく「大丈夫だよ」と今の自分が行って言ってあげることができるのです。

あの頃の体験を人に話すことはないと思っていましたが、
その方と懐かしく話ができたことが本当に不思議でもあったし、
そのときの経験が今の自分を作っていることも感じました。
どうしてこのタイミングで思い出させてくれたのか、
神の計画は、自分の計画であってわからないことだらけです。

でも、ずーっと幸せだった・・・
ということがきっとこれからも変わらないことであるのを思い出させてくれたのだと思います。











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