今に集中
本日の勉強会は、こじんまりとした雰囲気の中、ゆったりと時間が流れ、
ああ、今日も来て良かったなあと思いました。
本当は昨日から母親に対するパターンで落ち着かず、
今朝も語りかけをして、母親に何かあったら今日はすぐ駆けつけられるように、
心と頭と体すべてを母のために備える日にした方がいいのかな、と参加をぎりぎりまで迷っていました。
でも、備えるって何?とふと考える。
もしかしたらその備えの行動は、黒パターンのままに動くことにならないだろうかと思い、
そうであるなら、「私」が白を選択できそうにない今は、
また、黒でもんもんとしているくらいなら、
勉強会へ身を置こう・・・と考え直しました。
パターンにのみ込まれてしまったとき、
頭の中がそれでいっぱいになって、何をやっても心ここにあらず、という状態があります。
そんなとき、語りかけどころではない、
パターンを見るどころではない、
また、こんな状態で、仲間と会って学びをする気になれない・・・と思うことがあるのです。
これもまさしく、パターンが考えていることです。
●パターンが解決されないと、何も手につかない
というパターン。
黒パターンのままでいることが、どれだけよくないことか!
というパターンを嫌うパターンです(ややこしいが)。
「今まではそうしてきた」というものに出くわすたびに、
今回も、今までと同じようにするの?
と、思うのです。
パターンが騒いでいるときは、本当に何もしない方がいいのだろうか、
こんな精神状態のままではいけない、
ここをほっといて何かをしたってろくなことがない、というのは本当だろうか。
それこそ、自分が思い込んでいるもの、決めつけではないか?と感じるのです。
母親に落ち着いてほしい、混乱が静まってほしい、また明るいいつもの母親に戻って欲しいと願うパターン。
そのパターンを消す、無視する、ケアしない、ということではなく、
「ごめんね、必ずあなたの話は聞きに行くからね」と思いながら、そっと横に置き、
胸のざわざわを深呼吸で鎮めながら、
目の前のこと(人)に集中することだってできるのかもしれない。
今に集中しよう。
これは今までにない感覚でした。
今までは、あきらめていたことの方が多かったように思います。
集中なんかできっこない、パターンを早くなんとかしなきゃ、そこに頭も心も体も使わなきゃ・・・と。
むしろ、そんな状態で語りかけができたとしても、白を素早く考えられたとしても、
それをやっているのは誰???ということになる。
白黒はっきりさせなければ安心できなかったけれど、
このはっきりしないままでも何とかやれる、という新しい感覚もあっていいのかもしれません。
これも新しい自分で、いいのかなと思いました。
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