その人のため

自分のしていることを「信じる」というのは、
自分が自ら勝手にやっていることにもかかわらず、
どこか何かにそうさせられているかのような、無責任さも同時に感じます。
結果としてどんなものを受け取るのかは、自分の責任ではなくて、
自分以外のもの「信じたこと」という目には見えないものに対しての押し付けで終わるような、
そんな安易さもあるのかもしれません。

自分は間違っているのではないか?と思うとき、
勝手に信じてやってきたことが、いかに自分を正当化するためのものだったのかと思うことがあります。
その人のため・・・と思い、やっていることは、特にそうです。

何とかしてその人の望むような、
理想とするかたちを追い続け、自分ができることを精一杯していこうと頑張っていたのは、
それがその人を中心として、みんなが幸せになることなんだと信じていたからだと思いました。

でも、本当にそうだろうか・・・

人が関係することにおいては、自分のパターンが動いていることがほとんどなのだと思います。
自分のパターンに気づかないまま突き進み、
それを「信念」と勘違いしていることが往々にしてある。
自分のパターンが相手の選択や、もしかしたら人生に大きな影響をあたえるかもしれない。
そう想像すると、パターンのケアは自分だけのものではないということがとてもわかる気がしました。

その人のためにしたい・・・と思うのならば、
それが自分のパターンではないだろうか?
というところが、真っ先に感じられるようになりたいです。












コメント