現実が見えていない
●よく思われたい、というパターンがいます。
そして自分は、たぶん相手からこんなふうによく思われているであろう・・・
と、なぜか信じていたように思います。
だから、そうではなかったと知ったとき、とてもショックでした。
尊敬されたい、すごい人だと思われたい、頼りにされたい等々のパターンです。
どうしてそんなことを思っていたのだろうか。
相手が思っていることを知ってはじめて、
そうだよなあ、考えたら自分なんか尊敬されるわけがないし、
どこもすごくないし、頼りにされるような器ではないと知っていたはずなのに。
「わたしなんて・・・」
と、卑屈になっているのも、またパターンであるのです。
先日、教わったワークの中に、他人とくらべて自分にないものは何か?
『純粋に、いろんな人と自分とを比べて見る』というものがありました。
その時も自分は、他人と比べ、
どこが劣っているかをたくさんあげてました(止まらなくなりそうなくらい、出た)。
○○さんはみんなからよく思われているけれど、自分はそうではない。
○○さんはこんなことができているけれど、自分はそうではない。
○○さんはこれを持っているけれど、自分は持っていない(だからダメだ)・・・。
その人にあって、自分にはないもの、という純粋にシンプルに考えるのではなく、
その人がもっているものはいいもので、自分がもっていないのはダメだから・・・
という『いい悪い』で比べていました。
そこは違うのよ、と先生に言われましたが、
今一つちゃんと理解していなかったんだなあと、先日の出来事でまた再確認することとなったのです。
自分が他人より劣っていることがたくさんあると感じるのは、
一見、謙虚な人に見えるかもしれませんが、自信がないことの表れ?にも思います。
あるがままの自分を信じていないということ。
そのままの自分ではダメなので、どんどん自信がなくなってしまうのだ。
これがあって、あれがあって、他人とくらべて持っているものが多く、
優れていると証明されるもの、評価されているものがあって、
やっと自分を少しだけ信じられる・・・
だから、『自分は平凡である』という現実ではなく、
平凡どころかそれ以下だと思う自分(パターン)がいます。
自分はできないことだらけだ、と思うことも、
自分は非凡であって他人よりとても優れているんだ、と思うことも、
真逆であって本質は似ているような気がします。
だからこそ、●よく思われたい、というパターンがいる。
いずれにしても、まだまだ現実が見えていないのだあなと思いました。
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