自分に置き換える

精神疾患のひとつである統合失調症には、とても不思議な現象(症状)があります。
はじめて知った時も、そういう病気なんだねって受け取れず、
その不思議な世界を自分事として「それってどういうこと??」っていろいろ想像をめぐらしました。

調子が悪くなってきて、よく表れるものとして、
誰かがいつも自分を見ている(見張られている、幻覚)
誰かが何かを訴えかけてくる(声が聞こえる、幻聴)
そして、今目の前で起きていることが、現実であって現実でないような、
自分であって自分でないような感じ?があるのだそうです。

こう聞くと、統失の方を異様な世界に住んでいるかのように思うかもしれませんが、
これに似たようなことを自分だって体験しているのではないか・・・
と思うことがあります。
実際に、人が見えたり声が聞こえたりということは無いけれど、
心の中で感じていることや、いつも頭で考えていることが、
知られていないはずなのに、分かられているような感覚があったり、
まだそうなっていないのに、そうなるイメージが浮かんだり、嫌な予感が的中したり、
不安や恐れていることが現実になってしまった、というのもそれにあたるような気がします。

自分の中に無いものって、どうやっても出てこないと思うのです。
あるものだから(あるという自覚が無くて出るということもあるだろうが)、
その存在が反応して、表現化されるような気がします。
ずーっと抱え込んできたものが、どこへも表現されることなく長い間静かに生きていて、
とうとう頭の中、心の中だけではおさまりきれず、この現実を創り出してしまったのではないか・・・。

見張っているのは、他の誰でもない、自分自身(パターン)で、
聞こえてくる声の主も自分自身(パターン)ということになるやもしれない。
例えば、●他人からよく思われたい、といつも思い続けてきたのであれば、
どう思われているのかちゃんと意識しなさいよ、とチェックする人が出てくるだろうし、
あ、今のその言い方、誤解されるからやめなさい、と耳元で命令する人もいるでしょう。
これは、パターンがチェックし、パターンが命令しているという状態です。
完全にパターンに支配された世界。

こんなふうに捉えていくと、精神疾患の人も、そうでない人もみんな、
良くも悪くも自分が創った世界にしか住めない。
だったら、前より居心地が悪いなとか、本当は違う方がいいとか感じたら、
少しずつ創り変えていけばいいのだと思います。
でも簡単ではないですので、そのお手伝いをさせていただくのが、自分の仕事でもあるのかなと思いました。















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