お昼を食して思う
今日は、お昼にりんご紅茶と、冷凍たこ焼き10個を食べました。
りんご紅茶は、松本りんご園さんのミカフェ(mi cafe)のもので、
自宅で手作りして飲む紅茶です。
こちらのりんごジュースと付属の紅茶を鍋に入れて、ふつふつとさせたら、
カップに干しリンゴ(こちらも付いてくる)を入れてその上からりんご紅茶をこして注いで、
はい、出来あがり。
りんごそのものの風味が味わえます。
あ~美味しい・・・(娘が買ってきてくれたものだから、余計に美味しい)・・・至福のひとときです。
冷凍たこ焼きは、その名の通り、レンジでチンして鰹節とソースとマヨネーズをかけて食べました(たこ焼き最高!)。
体にやさしいなあと思うものと、そうでもないものの組み合わせ。
まるで今の自分のようだと思いました。
過去をふりかえり、
自分の食生活の変動ぶりには、そのとき時の生き方が反映されているなあと感じます。
私が20代、血液のガンになるまでは、ご想像の通りジャンクフードをほぼ毎日食べていました。
東京へ出て、仕事も終電で帰って朝も早くから自主練をするような生活(美容師見習いでしたので)。
ファーストフードかラーメンかコンビニ弁当か・・・。
若さもあってか健康を考えたことがなく、時間をかけて手料理する友人に「買ってきた方が早いのに」と思っていた。
病気をしてからは、マクロビオティックの生活にはまり、
それ以外の食事は悪とさえ思っていた徹底ぶりでした(マクロビそのものに、いいとか悪いとかないですよ)。
自然治癒力を高めるといわれるものや自然療法といわれるものをいろいろやって、
食べ物や体の中の、陰と陽も教わって、
それでもそれらを心につなげていくことが、自分にはできませんでした。
心と身体は繋がっているのだから、
正しい食べものさえ食していれば心も整うはずだ・・・
と思っていたんですね(正しい食べものと言い切る自分が、すでにやばい)。
病気が生き方を正してくれる、教えてくれるというのは本当だと思うし、
実際に元気になっていったことも事実ですが、
そこに何かかたくななもの、決めつけ、おごり、固さみたいなものがずっとあったように思います。
その後、結婚すると、その固さが表面化し、あちこちで葛藤するようになりました。
娘のアトピーや、給食をどうするかとか、親としてなっていないとか、
夫の暴飲暴食をどう見るのかとか、肥満は妻の責任とか、
そしてこんなに食べ物に気をつけているのに、自分自身の体調の悪さはいつまで続くのか・・・。
がちがちだった心は、ゆるさを求める夫と娘に、わたしって何か間違っている?
と、ゆれ動かされていきました。
そうやって出会った糖質制限。
指導してもらうということを通して、
はじめてどんなに良いと言われるものにも(これで健康を取り戻す人ももちろんいる)、
物事には必ず良い面と悪い面があると気づきます。
こんなあたり前のことを、自分はずっと気づかずに来たんですね。
自分の体を観察するときに、心もそこと一体になっているような感じがしました。
だから、今日はこれを食べたいな~と感じることをとても大切にするようになりました。
マクロビの知識も、栄養の知識も少しずつ時に取り入れながら、
体調と心の状態に合わせて食べるものが、一番おいしく感じられるようになりました。
老化していく肉体を大事にまた鍛えながらも、
思うようにいかない部分も受け入れていきたい。
そして、やっぱり自分はいろんな感情をゆるせるようになりたいと、
どんな肉体となってもゆるせるようでありたいし、精神は成長していきたいのだなと思います。
自分の中にある陰(黒パターン)と陽(白パターン)をうまくバランスとりながら、
どちらも自分で、それがいい!って思うお昼でした。
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