楽しくやりたかった

イベントの仕事が2日間ありました。
1日目は、はじめてのことで戸惑いつつも、いろいろ試しながらゆったりと時間が過ぎ、
不思議なくらい疲れませんでした。
2日目は、時間にすれば短かかったのにもかかわらず、
1日目とは比べものにならないくらい、頭も心も体もすべてくたくたに疲れました。

この差は何かというと、
ずばり2日目は完全に、自分がパターンで指示を出しまくっていた・・・ということ。

パターンはこだわりが強く、理想を掲げます。
思い描くシナリオ通りに進みたいと、自分のいる場所をどんどん狭くし、こうじゃないとダメって息がつまるようなことをしてしまいます。
その結果、楽しさとは真逆の方向に進み、
大して動いていないのになんかすごい疲れたあ〜ということが起きるのです。

初日は、予想がつかないので、まずやってみようという感じで心に余裕がありました。
うまくいかないことがあっても、ちょっと失敗だなと思っても、
まあいいっか、で軽く受け止め許せるのです。

でも、初日の反省をふまえての2日目は、
あーそうやるとだめなんだよなあとか、
昨日のメンバーはもっとちゃんとやっていたのになあとか、
比べるものができてしまい、そこと比較してどうかという基準で見ていました。
だから普通に指示を出すべきところでも、
思った通りになっていないイライラを抑えて、話していたと思います。
そう見えないように隠していたつもりでしたが、たぶんばれてますよね(何か圧を感じる)。

動く方は、たぶん自信を持ってできなかっただろうし、
失敗できないって緊張してしまっただろうし、楽しくなかったんじゃないかと思います。

イライラを「私」はしっかと感じているので、
パターンがやっているなと、そのときもわかったはずですが、
それでもパターンを暴走させてしまいました。

1日目と比べまくったパターンとしては、
もっとテキパキと動いて欲しかったし、もっと声を出して欲しかったし、
もっと仲間とコミュニケーションをとって楽しくやって欲しかったんだと思います。
そう「楽しくやって欲しかった」というのは一見いい感情に見えますが、これは押し付け、強要ですね。
パターンで指示を出しておきながら、
楽しいと思ってやってよね!ってどこまでパターンは自分の理想を当てはめようとするのか。

この日一日、自分はイベントを頑張ったんじゃなくて、
自分のパターンを満たそうと頑張っていた、ということ・・・。

一緒に働いてくれた仲間に申し訳ないことをしてしまいました。
まずは頑張ってくれたことへのお礼を伝え、
うまく指示が出せなかったことを謝りたいです。
そして、また次の機会があったのならば、また一緒にお願いします、と話してみよう。

心身共にくたくたに疲れたときは、かなりパターンが頑張っていないか?と立ち止まろう。
みんなから自分が教えてもらったこと。
気づけて良かった。



















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