話題をさける
気になっていることほど、その話題をさけるということがあります。
自分自身がさけることもあるし、さけられた、ということもある。
自分がさける、という時は、
まだその件に関して充分に自分自身を観察していないとか、
そのことへの向き合い方が中途半端とか(半端だということを自覚している)、
そのために、他人から何か言われることを怖がっている時のように思います。
もう少しでその、気になっていることの正体がわかりそうだし、
いや、本当はわかっているから、ずばり、まだ言わないでほしい、って抵抗している感じ。
気にしていないわけではなくて、
むしろ、すごく気になっているけれど、まだなのよ、まだ・・・って思っている。
何がまだなのか?と思うと、心の準備なのかもしれません。
心の整理とでもいいますか、
気づいて何かをちゃんとしたいと思っている、そのために自分のペースで心を落ち着かせたいと。
それくらい、気になっていることは時間が経つにつれ巨大化していって、
心の準備がないと太刀打ちできないんじゃないかと妄想してしまうように思います。
そして、やっと重い腰をあげるかのように、
パターンの語りかけをしてみたり、
現実的にさっさと何か行動していかなければならないことをやってみたりして、
あ~意外と、深刻に考え過ぎていたかもな、って思うことが多い。
やってみたら(ちゃんと向き合ってみたら)、
大したことではないようなことだった、ということはよくあります。
何をそんなにためらって、(心の)準備をせねばと、大袈裟に考えていたんだろう。
大袈裟に考えているのは、「私」ではなく、パターンがよくやってしまうことなんですね。
だから、気になっていることがあるということを深刻化させないようにしていきたいです。
そして面白いなあと思うのは、他人がそうなっている時は、
その『気になっているのにさけている部分』をつっこみたくなってしまうのです。
どうしてさけているのか、その理由、原因を聞いてみたい・・・
聞いたら、あ~そういうパターンね、と自分は思うのでしょう。
たぶん、他人のパターンを見て安心したいパターンがあるのだと思いました。
他人のパターンを見て楽しんでいる暇があったら、自分のパターンのケアをするとか、
白で行動するとか、自分を観察するとかいっぱいやることはあるのに・・・
これって、他人の失敗をみて笑っている暇があったら、自分のやるべきことをやれ、というのに似ていますね。
人のふり見て我がふり直せ。
さけたい話題が出た~という時は要注意です。
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