期待する動機

相手に期待をしてしまうということがあります。
そうなってほしいという願望がはじめにあって、
どちらかと言えばその願いが叶いそうなとき、そうなったときの喜びまで想像しています。

期待そのものは、いいも悪いもないのですが、
期待しはじめると、そうなってほしいという気持ちを自分自身であおぎ、
自分自身で妄想し拡大させ、叶ったその先のことまでも決めつけてしまっています。
そして期待がある分、そうならなかったときに、
後悔、怒り、悲しみ、落ち込み、裏切られたと思ってしまう。

期待している時間を、
この先どうなるのかなあと楽しめる時間にできるといいと思いました。
ちょっとだけその期待感をおもしろがって楽しむ。
そこで終わることができればいいし、
期待しているその時から、その後の結果はどんなものが来ても大丈夫と思えたらいいのに・・・。
でも、それは思考で考えているから言えることで、
実際は期待が外れた時にはじめて、
ああ自分は、期待通りにならなかったときのことは全く考えていなかなったんだ(考えたくなかったんだ)と気がつきます。

相手に期待してしまったその動機を考えると、
その期待が期待だけでは終われない理由が見つかります。
それは、ほとんどのものが、自分はそれで安心したいというもの。
人は安心したいのだと思います。
『自分のために相手に期待している』ということに気づきます。








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