たくさん話を聴く

最近、何となくいい感じかなあ(うまくいっているなあ)と思うときの共通点について考えてみました。
二つ思い浮かんだことがあって、
一つは、相手の話をちゃんと聴くということ。
できているというより、そう意識してずっと練習しております。

仕事で、精神障害のある方とその方が働いている企業との間に入っていろいろな話を聞く機会が多いのですが、
ある意味、両者にとって中立な立場でいるようでいて、
実際はどちらの側の味方でもあるという微妙な立ち位置でもあります。
というと、どちらにもいい顔をしている感じもありますが(実際そうかも・・・)、
どちらの話もちゃんと聴いていくと、
自然に今目の前にいる人の言い分は間違っていないと思いながら聞いている自分がいます。
例え嘘をついているとしても、その嘘を聴いてみようというくらいに、
全部まるごと(表情やしぐさも含めて)受け止めたいと思って聴く。
ちゃんと聴いていないときは(または聴き方が浅いときは)、これが無いのです。
何か他に正解があって、間違ったことを言っているなこの人・・・と感じながら聞いているのだと思う。

雇用する側とされる側、お互いの立場での感じ方考え方があるので、
両者の話を聞いての『事実』はどうなのか、ということをある程度見つけられたら、
その『事実』についての感じ方考え方の違いはそのままにしてもらっていいと、
一旦は何の解決にもなっていないように見えるのですが、
それぞれの立場での話をよく聴き受け止めることができると、
そこには否定というものが無くて、
相手の方の捉え方がそのまま違和感なく、自分の中に入っていくのを感じます。
その人にとって今、これが正しいと思っていることは何なんだろうと想像しながらお話を聴いていく感じです。
それは自分自身にとっても同じで、
自分が今何を正しいことと思っているのか、
そこに向かわせようとしていないか、自問したりもします。

また、話を聴いていくうちに、内容が二転三転して複雑になっていくこともあります。
一見、言うことが違ってきて、何なんだ?と思うのですが、
言うこと感じることが変わってくるというのは、むしろ自然なことなんだなあと思うようになりました。
言っていることが矛盾していても、
矛盾はその人の心の奥底にあったいろいろな気持ちの表れであり、
視点の広がりでもあり、どれもその人にとって本当のこと。
変化していく考え方感じ方を素直に相手に伝えられるということは、
自分で答えを見つけられるところまできているということだと思います。

みんな誰かに話を聴いてもらう中で、自分で自分に問うことを自然とやっていて、
言葉を使いながら、しっくりくる答えを何度も選び変えながら、
本当にこれでいいと(今の時点で)思えるところに自分が落ち着いていく。
これは自然な流れなのかもしれないと感じました。

以前、ある精神科医の先生が、精神疾患についての最も続けるべき治療法は、
その患者さんの話をたくさん聴くことだと言っていました(当時、これを聞いてすごい感動した)。
自分は、治療する立場ではないので役割としてはかけ離れたところにいますが、
このことが頭から離れなくて、
精神疾患の治療ではなくても、もしかしたらすべての人にあてはまることじゃないかと思いました。

身近な人にこそなかなかできていないことでもありますが、
せめて仕事を通じて自分の目の前にいる人の話はちゃんと聴こう、とこれからもずっと意識していきたいことです。
目に見えるような『うまくいっている』という状態ではないこともありますし、
充分な時間(経験)が必要なときもありますので、
そこも無心でやるということが(良い結果を求めないで)、心構えとして大事だなと思います。

二つ目は次回に。









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