一期一会のクラス

今日は岩手クラスのセミナーの日でした。
今回も宿題があったのですが、
この宿題で問われていることの解釈が自分はずれていて、
答え方が違っていたということがありました(話すまで気づかなかった)。

こういうことは、仕事でも私生活でもたまにあります。
周りの人たちが普通に難なく答えていることに対して、
一人質問されていることとずれたことを言ってしまう、ということがある(質問した人が困っている状況)。
なぜちゃんと答えられないのか?
単純に考えれば、ちゃんと話を聞く、文章を読む、
そういう基本的なところ(理解力や国語力の問題)もありますが、
何でもかんでも自分の感覚で受け取っていい、ということに重きをおき、
またその感覚で捉えたことが正しいと思っている自分がいたかもしれないと思いました。

少しまた違うのかもしれませんが(この話もずれていませんように)、
基本に忠実にやるよりも、
おおよそのことが合っていればよしとする傾向が自分にはあります。
語りかけのワークを教わったときも、それが身につく前にオリジナル的な言葉を使い、
ワークの意図が変わってしまったことがありました。
先生から、「この通~りに、やってください」
と念を押されたことを思い出します。
大体こんな感じでいいだろう、というのが中心にあって、
すっかり理解しよう、分かろう、ちゃんとやろう、
またはもう一度確認する、自分の解釈を疑ってみる、疑問があったら解消させる等々
そういうところの詰めが甘い・・・。

大体わかれば「わかった!」と言い、
大体こんな感じというところで自分にOKしている。
こういう性格、癖、パターン、資質、いろいろな特性が自分にはあるとあらためて感じました。
そして、こういうアバウトな、いい加減な、考えが浅い、早合点な、ごまかし傾向なところに、
時に助けられてきた自分がいたことも事実。
自分を知ることの材料は、あちこちに転がっています。

セミナーでは、その学ぶ内容そのもの以外にも、
仲間の話を聞いている最中に、自分の中に引っかかるパターンを見つけたり、
自分の発した言葉で自分のことをより客観視できて自分を知る、ということがあります。
そこがとてもいいなあと思う。

そして今回、先生からのたくさんの言葉の中で胸にぐっときたこと
「いつかは自分も来れなくなる日が来て・・・一期一会ですね・・・」
そうだよな・・・
これから先もずーっと「先生がいないとやっていかれない」ではだめなんだ、
ということをしみじみ思いました。
わからないことはまた次会ったときに聞こう、
苦しくなったらいつでも先生から答えをもらおう、ではないということ。

クラスの仲間、大事に思う人たちこそこの一期一会を心に留めて、
今会っていること話せていることを大事に大事にしていこう、とあらためて思います。
先生、みなさん、今回も本当にありがとうございました。

















コメント