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人間関係から学ぶこと

人間関係から学べることの1つに、 自分が今どんな状態であるのかを知るということがあると思います。 道場での学びでいうと、 自分はどんなパターンを持っているのかということなんですが、 どんなパターンを持って生きていても、 パターンにいい悪いはないのです。 ただ、パターンを使い慣れているために それではない、本当の「私」を感じられていないということが 問題なのだと思う。 (問題という言葉以外にしっくりくる言葉が見つからなかった・・・) このパターンで自分は行動しているんだなとか、 このパターンについ引っ張られてしまうんだなとか、 このパターンで自分は自分を満たしてもらっているんだなとか・・・ 自分の思考癖(パターン)をちゃんと認識していくというは大事。 でも、大抵は自分を守るために、 自分ってこういう性格だから~と、 本来の「私」ではないパターンで実は生きていることに なかなか気づけないのだと思います。 なぜなら、パターンで生きていると、 自分のすることに否定的な人や、苦手な人、嫌いな人、 そういう人との関係性は築かないようにする気がします。 (もちろん、無理に付き合う必要はないけれど) また、本当に自分を省みるということは、 はじめはとても苦しさを伴うので、 自分を褒める人、認める人、楽しく付き合える人、 または一緒にいて何の害もなく安心できる人との関係性から、 自分を知ろうとする方が圧倒的に多いのだと思う。 その方が「良い自分」だけを見れるし、気分もよく、そして楽になるから。 でも実際は、 そこからは本当の自分を知ることはできない。 となると~、 人間関係を築きにくい人たちというのは、 自分を知るための(その目的にとっては) 一番ドンピシャな相手でもあるということになります。 教えを乞うにはこれ以上ない相手。 苦痛な人間関係とネガティブな感情から得られているものって、 本当はそういう大事なことが隠されているんだなあ。

病院疲れ

先日までの検査のための通院期間。 これが思いのほか長かったせいか(2か月ちょっと) 夏の疲れならぬ、通院の疲れが出ている気がします。 毎週通い続けて、しかも長時間の待ち時間。 周囲の騒音も苦痛だったし、 自分が自覚するよりも不安と緊張の中で耐えていたのかもしれません。 その日々ももう終わったのですが、 結果的に不具合もわかり、 現実を知れて良かったと思う反面、 体の不調と付き合いながら年を取っていくことを思うと、 連休あたりからかな〜なんだか急に、 何をするにもやる気がおきなくなっていったのでした。 家事だけでなく、外出や買い物、人との約束、 そして語りかけもしたくないとパターンは思っている。 会社にも行きたくないし、 これから先のやりたいことすら、もういいってパターンは思う。 パターンと「私」が同化していくような感じだった。 でも、そこから少しずつ抜け出せてきている感じがあります。 朝のルーティンと帰りのルーティンを たんたんとやり続けていたからではないかと思いました。 感謝のお祈りをし、 今の気持ちを感じ、日記を書く。 決まった語りかけだけする。 そういう習慣になっている行いが自分を救っていたのかも・・・ もしかしたら、 こうやってこれからも何とかなっていくかもしれない。 まだ体はだるいけれど、 大丈夫になっていくのかも・・・ って思う今日でした。

ちゃんと理解する

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自分(パターン)を救助する。 レスキュー隊のようにすぐに駆け付ける。 話を聴いて、言葉にならないものを代弁してあげて、 そばにいて見守る。 ネガティブな感情の中でも特に怒りが湧いているときは、 自分を見失いたくないと、 何とか落ち着かせたいと思うけれど・・・ それも取り乱したくないパターンがやっているんだと思いました。 そうではなく、ちゃんとその怒りも感じて、 取り乱していることも感じて。 そうして、こうしたいと考えずに今の気持ちだけを感じてみる。 本当は、否定していた人のことがすごく羨ましかったり、 自分にはないものを感じていたり、 そうしたないものねだりする自分(パターン)も見えてきました。 隣の芝生は青く見える、みたいな感じです。 そういう感覚があることも正直に認めて(自覚して)いこうと思います。 「ちゃんと理解しているよ」とパターンに言えるのは、 そういう正直さなんだと思う。 トキ(黄色いりんご)って甘い!

感情の波が荒れたとき

めちゃめちゃ感情の波が荒れました。 ザッブーーーンって感じの大波。 自分が中心でいたい、大事にされたいというパターンは、 存在をないがしろにされているかのように感じて、 寂しくて、恥ずかしくて、悔しくて、苦しさでいっぱいです。 他人から大事にされていないと思うと、 自分だけでは自分を大事にできないと思っているパターン。 だから、とても寂しい。 中心にいると思えないと、 そんな自分はそこにはもう居られないと思っているパターン。 だから、恥ずかしい。 ないがしろにされる、関心を持たれないということが、 何かとてもひどい目にあっていると感じるパターン。 だから悔しくて、苦しい。 自分がこんな気持ちにならないように、 あなたは(あなたたちは)自分を守ってよねとパターンは思う。 他人に、私のご機嫌をとってくれーーーと言っている。 それでも、 パターンを見つけて語ることで、 もう半分は大丈夫なのかもしれないと少しだけ思えてくる。 一人じゃないんだなと少しづつ感じられてくる。 その半分のところまで、 いろんな感情を感じながら進んでいこう。

自分を引き上げよう

感情を感じたとき、その次にするのは、 何のパターンか探すこと。 ここで、あ~パターンを何とかしなきゃなとか、 語りかけやんなきゃと言っているのは、 これもパターンの声です。 それが出てきたときに、黙りなさいとパターンへ言って、 やることをやる。 ここが、間を置かずにやるのが今の私の課題だなと感じます。 今日は、語りかけの文章を考えはじめると 以前作ったものとの違いが出てきて、 パターン視点ではなく、 より「私」視点になって発する言葉が連なっていました。 「私」自身が作っていくんだと意識。 これが自分を引き上げるということなのかなと思いました。 集中力を発揮するということです。 ネガティブな感情に対して、 またか・・・とネガティブな感情を嫌うパターンに対して、 私はどうしたいのだろうか。 そのままパターンの声に従いたいのか?と問う。 自分を引き上げるために、 あれこれ考えず、 目の前にいる出てきてくれたパターンへ そうだよね、って話しはじめよう。