その振る舞いは?
他人からこう見られたい・・・
と思ってやっていたことがありました。
この振る舞いをしていればきっと他人からはこう見えているはずだと。
なんて、いちいち考えて行動していたつもりはなかった。
本当にそんなつもりはなかったんだけれどー
どうありたいのか?というところが、
いつの間にか、どういう言動をすれば自分に恥じないのか?ではなく、
どう他人から思われたい自分なのか、
にすり替わっていたんだなと気づきました。がーーーーーん。
これって、全然違うものです。
なんで選択してしまっていたんだ・・・
そして、
そういうのがプライドなのかもと思いました。
自分はちゃんとやっている、というプライド。
他人から見られたい、思われたい自分だけでなく、
こうなりたい、こういう自分でいたいと思うとき、
すでに自分はそういう人間なんだという思いこみが始まっている。
本当はすごくも何ともないのに、
そう見える「振る舞い」をしていくうちに、
自分がすごいかのよう思ってしまうのかもしれません。
もう一つ感じたのは、
プライドって一生懸命に外側を変えようとするんですね。
外見ということだけではなく、他人から評価してもらうための外側の言動です。
核となる「私」は大して磨かれていないのに、
あくまでもそう見えるような外側の「振る舞い」を変えていく・・・
自分がどんな「振る舞い」をするのかが重要で、そう見せることへの熱心さがある。
そこでプライド(=パターン)が満たされたなら、
それが成長だと、内側が変わってきたからだと勘違いしての「いい気分」にもなっていなかっただろうか?
(今になって、自分に問いかける)
それ、パターンが誇らしげにいい気分でいたのかも。
パターンに語りかけをさせないようにするプライドって、
本当に手ごわい・・・けど、単なるパターンなんだ。
でも、そんなプライドの言い分も、
しっかり聞いていこうと思います。
じゃーん、黄金の加山雄三さん |
コメント