時間をかけるもの

帰りの新幹線に乗り、窓からの景色を見ながら、
つくづくこんなに人がたくさんいる中で、出会う人と出会わない人、好きな人嫌いな人、気が合う人うまくいかない人との縁は、
意味がないわけがない・・・と思ってしまいます。
そして、自分にとっての先生との縁はかれこれ14年目に入りました。

おそらく何かを極めた人、芸術、芸能、音楽、スポーツなど、
数ヶ月や数年で完成するものではなく、
何十年もこれをやり続けています、という方いると思うのですが、
そんな長い年月を経てもなお、わからないことや難しいこと、大失敗することはあって、
それだから時間をかけることの大切さを知るのだと思う。
何かを習得するというのは本来終わりがなく(もうこれでよし!がない)、領域が上がれば上がったでまたそこでの奥深さに気づき・・・
そういうものなのだと思います。

今の時代、簡単にできます、習えます、答えがすぐでますと、
時間をかけないことが良しとされるものがあまりに多く、
経験で(自分がやることで)深めることへの抵抗というか、そこに重きを置く価値がなくなっているような気がします。
もちろん、みんながみんなではなく、
その経験を自分自身が体験せずとも体験した人を見るだけで、
また話を聞くだけで分かったような感覚に陥ると言ったらいいか・・・

でも、時間をかけて自ら実践、体験した先には、
新たな領域へと一歩、また一歩とさらに自分が知らない世界を知ることになります。
自分のものになる(その感覚は忘れないもの)。
そこまでやって見える世界があるから、やり続ける人がいるのだなあ。

・・・ということを、この学びにも感じました。

カウンセリングをするのに、何をそんなに時間をかけて学んでいるのか、
自分を知るのに、そこまでしなきゃわからないものか。
と思うかもしれませんが(私も初め思った)、
でも、どうしても時間がかかることって確かにあるんですね。
そう、かけないとわからないことが・・・

そして、わかったなと思ってからがスタート!
自分をよく理解できて(パターンのケアができて)はじめて、自分はどうありたいのかを問えるような気がしました。

昔のように「楽しい」という意味付けも今は全く違うし、
「大変だなあ」という意味付けも変わってきています。
それだけの濃い時間をかけたからこそ、感じることができたのかも。
その感じたものを大切に忘れないようにしたい。

明日はゆっくり体を休めて、
感じたところから一つ一つやっていこうと思います。

先生、茅ヶ崎の皆さん、ありがとうございました。


なぜ、茅ヶ崎でアロハ?



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