喜んでお受けします?

「パターン」は子どもです。
すぐ怒ったり、駄々をこねたり、落ち込んでみたり、泣いてみたり。
かと思えば友だちになだめられたりしたもんなら、
その機嫌もどこへやら~
自分に都合がよいことさえ与えられれば、また笑っていられる。
ほんとにお調子者で気分が目まぐるしいのです。

その目まぐるしかった自分から、
少しずつ他人に影響されなくなり、
良いことに対して(以前だったら、はしゃいで喜びそうなこと)にも、
ちょっとある意味距離感を持って、落ち着けるようになっている。

それは、簡単に言えば、
大人になったということなのかもしれませんが、
自分の中には以前とは明らかに変わりつつあるものがあります。

それが、
全てが自分の責任だと思うようになったこと。

幸せだなあとか、つらいなあとか感じることも、
どっちも自分の心のしわざであって、
自分が産みだしているんだと知っているから、
自分に現れることは、全て、
自分のこれまでやってきたことの責任(ちょっと重いでしょうか?)。

何事も、時が経てば状況は変わるものだし、
どんな自分であるかも、同じままでいることはないんだなと、最近とても感じます。
なのに、
変わらなくていい(パターンでいようが関係ない)って、
心の深いところで思っていれば、
本当に何も変わらないまま人生を終えそうな気がするのです。
表面的には、出世したとか、結婚したとか、
生活が豊かになったとか、あれもやっているしこれもやっているという、
ちょっと人がうらやむようなことをしていたとしても・・・です。

目に見えるような、他人からわかるような変化ではなくて、
自分にしかわからないもの、
一本軸が通るような確かなものを欲しかったし、探していたのだと思います。
その軸は、柔軟であり愛があり思いやりがあり、
ダメダメな自分も許せるような、
でもちゃんとそこへの努力もしている、そういう心といったらいいか・・・

それは、ずーっと穏やかでいるという聖人君子のような立派なものではないし、
嫌なことやつらいことがあってわめきながらも、
それでも、そこから何を得て学ぼうと努力するのか。
素直に自分の間違いを認めて、
今より、全体をより良くしていこうとする、そういう諦めない感じの軸です(長々と言えば)。

その軸を感じられると、
苦しい時に、苦しいけどなんか良かったなと思うような気がします。
生きていく上でそれは大きな力となり、
生きる力を自分が自分に与えてくれると思う(決して、やばい人ではない)。
あ~やだやだ・・・から、
喜んでお受けします・・・になったら、
それがある意味、責任という感じでもあるのかな。

少しずつだけどそんな気がしています。

結局毎日、パターンを救っているつもりになっていたけれど、
自分がそこから救われていたんだということにも気づかされます。
だから、出てきてくれたパターンにはお礼を言う。

より良い人生にしていくために喜んで~
今日も軸を感じながら一日がんばっていこう!


こういうのも、原田治作品









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