プライドについて
昨日から茅ヶ崎クラスに参加しています。
茅ヶ崎は思ったより寒いことは寒いんですがー
雪がどこにも日陰にも見当たらず、
スノーブーツを履いてきた私だけ、がぼっがぼっていう足音が北国から来ました感丸出しです。笑
こっちはみんなスニーカーなんですよ〜びっくり!
道場の学びはやっていることは同じとはいえ、
やはりクラスの個性で、深める内容の箇所は違うように感じます。
今回は、ホーキンズ博士の意識レベルでいうところのプライドがテーマが出てきました。
「プライド」は「勇気」の一つ手前にある意識レベルなんですね。
自分にはあまりそういうのはないかな〜と、やや他人事で話を聞き始めてまもなく、
あーあるある・・・いろんな種類のプライドを見つけました。
あらためて調べてみると、
プライドを手放さない人の視点は、常に「要求」にあると書かれています。
他者からの承認とか称賛されたい欲求があり、そのために努力を惜しまず何かを成し遂げる原動力にさえなっています。
プライドって、自慢、うぬ惚れ、自賛、驕り(おごり)、傲慢さというものですが、
そのミームにいるとちょっとカッコ良く見えるような錯覚をします。
でもよく観察すると、それがなかったら自分を支えられないような弱さやもろさが見えてきました。
誇らしさで堂々として見えるその裏では、
プライド無くして自分は奮い立たせられない、しかも他人からの支えであることになかなか気づかないものだったりします。
そして、学びとして困ることは、
プライドがパターンの存在を否定する、無視をするということ(←これがやっかい)。
例えば、何か落ち込みそうになったとき、
本来ならその落ち込むパターンを見ていきたいところですが、
その直前で、このプライドが自分を見ることを邪魔します。
プライドは完璧な自分でなければいけないので、せっかく出てきたパターンをねじ伏せてしまうのだそうです。
悔しさ、悲しさ、虚しさ、失望、落胆、といったその今ある感情たちを、再び心の奥深くに沈ませ蓋をさせ、
いつまでも自分をカッコ良くできる人だと言い聞かせるために、またプライドで生きる人生を選ぶのです。
そして、私の場合もこれがありました。
自分を卑下したり、いつも周りに合わせている人を見ると、
なんかイライラしちゃうパターンがあるのですが、
これってもしかして・・・?
自分はそういうことなくやれてます。
ちゃんと自分を持って生きています。
ちゃんと自分はできています。
っていうプライドを持っているからこそ引っかかるんだ、ということが分かりました。
こういうのもプライドがあるからのパターンだったのだ。
今日もまた素直な心で、感じて考え、質問をたくさんしていきたいです。
みなさん、今日も一日よろしくお願いします!
新幹線で出発したときはこの景色 |
コメント