パフォーマンス
前回の我慢の話ですがー パターンは何一つ変わらず(主張は持ったまま)、とりあえず口を閉じていただけです。 大人の振る舞い、わかっている人にも見えたかもしんない? いやいや全然中身変わらずにそこにいます。 それを口にしない、黙る、引き下がる、従う、控える、自分が折れる・・・ といった類いのものは、 自分のパターンとしてはかなり苦手意識があるんですね。 口に出す、訴える、前に出る、反論する、出しゃばる、自分を曲げない・・・ こっちを自分のパターンはやりたがるため、 今までも何度となく練習してきているんですが、まだまだ表面的なんだと思った。 表面的だと分かるのは、 心から生まれたものなら気持ちがすーっとしているというか、何の引っ掛かりもないのではないかと思うから。 そこにはあきらかに至ってないから、ぐっと我慢という状態だったんですね。 心がそうなっていないのにそうしようとすると、 それがパフォーマンスにも関わらず、 何かそうできた自分を何度か経験していくうちに、 中身も自然に変わったきたかのような錯覚があるように思いました。 私、だんだんこんな自分になりましたよ〜的な大錯覚。 ここが今、自分の見るべきところなのかも。 語りかけがすごいなと思うところは、 このパフォーマンスが語りかけを前にすると、 泡のように消えてしまうところです。 パターンに寄り添い丁寧にやっていくと、 さっきの我慢という頑ななかたまりがほぐれていくのを感じるんです。 自然にほろほろと・・・崩れ落ちて中身が顔を出すというか。 本当はあなたはこう思っていたんだね。 そうなることが怖かったんだね。 もう見せかけの自分ではなく、丸裸の自分がただただ人間らしくそこにいるんですね。 か弱く、何とも心細気に、怖がっていたパターンが見えました。 表面的なものでも、なりたい姿を演じているうちに、 それが本当の自分であるかのように人格化していくことはあるようです。 でも、そこに純粋なものは感じられない。 やっていることも言っていることも良いことばかりなんだけど、なんかなあ・・・ という違和感を時々感じる人がそれ、かも。笑 今回もこうしてまた、 他人から必要とされたがりの〜大事にされたがりのパターンに語りかけています。 もしかしたら・・・大事にされたいって、もう決めつけなくてもいいのかもしれない・・・ こっちも同時にやってい...