「責める」の意味付け
「責める」について、
中立ワーク(意味付けを考える)をしてみたいと思います。
自分にとってのマイナスの意味付けとしては、
(そう、あくまで世間一般にではなく、自分にとってはどうかです)
⊖ 攻撃している、意地悪くする、その人が悪いと思っているからする、
裁き、問い詰める、威圧感を与える、相手への批判や非難、自分を守りたいからする
プラスの意味付けとしては、
⊕ 明らかになること、責任が明確になる(無責任にならない)、
原因(理由)を知ろうとする行動、相手の非を伝える勇気を使う
そして中立には、
ただ一つの体験、絶対ではないもの。があります。
「〇〇さんを責めることになるから、言わなかった」
会話の中に出てきた言葉に、なんだか引っかかりました。
責めるのは良くないから(してはいけないことだから)、しなかったということなんでしょうが~
責めることって本当に「悪」だけなんでしょうか?
時には責めることで、
相手に何かが伝わるということもあります。
責められてはじめて、その人は何か気づくかもしれないし、
責めることで、一石を投じるような、
悪しき習慣を変えるということもあるかもしれません。
また、責められた人は可哀そう・・・というのもどうでしょう。
誰も責めずに物事が良い方向へ向かうならば、
それに越したことはないけどー
責められたと思われたとしても、言わなければわからないこともある。
大事なことが伝わることで、相手も言ってもらってよかったと、
大分経ってから思うこともあるかもしれない。
以前、「言わない」「黙る」っていうことは、
誰の批判もしていないってことだからいいんじゃないの?
って思っていた時がありました。
言わないほうが人を傷つけずに済むと・・・
でも、何も言わない、反応しないということで、
相手が悲しくなったり、傷ついたりすることもあるのです。
無反応、無視、無関心はとても寂しいもの。
だったら、責めることで自分の悲しさを伝えたっていいのではないか・・・
責めないように、言わないように、聞かないように、
問題としないように、指摘しないように。
自分は何も感じていませんよー誰も責めませんよーって。
あたり障りなくやり過ごすことが悪いことではないけれど、
何だか生きている実感がそれで湧くのだろうか?
ぶつかって何か変化があってもいいのではないか。
自分がもしも責められたら、
どうして責められたのか自分自身を振り返ろう。
そして、責める相手を自分はどう感じているのか、
何に引っかかっているのかをちゃんと感じてみよう。
真ん中あたりに飛行機発見! |
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