ふさわしくないもの
この頃は、自分の中から積極性とか向上心とか、
何か前向きなものが、薄れているような気がします。
今いるところに立ち止まってみたくなり、
後ろを振り返ったり、
何もせずにいてみたり。
そんな中でも毎日やらなければならないこともありますので、
そういうことはあれこれ考えずにやるんだけど、
こうしたい!っていう意思を持ってやる部分が・・・あんまりないかも。
よく言えば、流れに身を任せているっていえばいいのか~
成るようになっていけば、まあいいかなと、
自分が考える良い成り方ではなく、
もっと違う大きな視点での良きことであればいいかな~という感じです。
自分の個性(よく言われる性格)として、
積極的だとか、好奇心旺盛だとか、行動力があるとか、
自分でもそこは、良さとして認識していたりしてますが、
全くそうではない自分もいて(白があれば隣りに黒があるように)、
今はそっちの方が自分らしいような気がしています。
昨日の日記にも書きましたがー
自分にはふさわしくないものを、
自分が発揮するべきことと思ってはいないか?
自分にふさわしくないものって何だろうって考えています。
生き生きした自分って、こうだよねって、
自分がこうなると輝くよねって。
その思いこみは、どういうものなのだろうか。
少なくとも、受動的ではなくやっている、
成長したいという向上心の元やっている、
なんだか、このあたりがヒントになっていそう。
そんなに考えてもいないし、積極的にも動いていないのに、
向こうの方からやってくることがあります。
やってくるから、ありがたくそれをしている。
やってきたものは受け入れ、それに集中してやる。
そこにもっと、もっと、というものが生まれると途端に、
ただ、感謝してやっていたものが、何か別ものになってしまう時があるのです。
力を抜いて純粋にやっていたのに・・・
楽しくやっていたのに・・・
急に別ものになっていく、この変わりよう。
それ以上何かをしようとしたものなら(←パターンなんだな)、
もうそれとは違ってしまう。
天にとって(全体にとって)良いことが、
自分だけにとって良いこと、
特定の人だけに良いこと、みたいになってしまったからなのか?
ここでいろいろ頭で考えていくと、
またちょっと難しくなってしまう気がします。
心地よく、軽く、広く、清々しい落ち着き。
そういう感覚を今は頼りにしてそれを信じ、自分を見ていこう。
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