健やかに穏やかに



今日は母と一緒に公民館の紅葉を見てきました。
お天気が良かったので、たくさんの人がそこの庭園を見に来ていて、
真っ赤なモミジが空に広がり圧巻でした。







庭園の中は舗装されていないので、
でこぼこした歩道を転ばないように、
母と手をつなぎゆっくりと一周しました。







途中、七五三の着物を着た可愛い子どもたちともすれ違い、
母は「あら、可愛いね~」と笑顔で声をかけていました。


自分の七五三って全然記憶にはないのですが、写真はあります。
もう着物が窮屈でしかたなく、
早く脱ぎたい!という、すごい不機嫌そうな顔で映っている自分。
若かった両親はさぞかし私をなだめすかして、
何とか写真を撮ったのではないかと思うのです。







そうやって子どもの成長を願ってお参りをしてくれたことに感謝です。






今は、自分が母を健やかに穏やかに老いてほしいなあと願い、
一緒にこうして季節を感じながら散歩ができたことが、
とても嬉しく思いました。


そういえば先日、
自分の年齢を母に教えたら、え~~~、あんたそんな歳になったの?
と、ものすごくびっくりされました。
実際よりも15歳くらい若いと思っていたらしく・・・
そのあと、まじまじと私の顔を見て納得したようでした。







最近母は、寝る前に昔のアルバムを開いては、
兄と私の小さかった頃の写真を見て笑っているそうです。
兄が私の手をひいて歩いている・・・というだけで可笑しいようで~







それは私がお年寄りを見ると、
それだけで微笑ましく思う気持ちに似ているなと思いました。


お年寄りってみんな、
可笑しなことをしているに違いないと想像してしまいます。
それは、自分の親が、おもしろくて優しくて愛がいっぱいの存在だったからだと思う。






だから、お年寄りを見ると恩返ししたくなるし、
優しい気持ちになってしまいます。






そして、あともう少しであちらの世界に行くやもしれない、
そんなお別れを思うと(ちょっと勝手に申し訳ないけれど)、
寿命まで、最期の時まで生きるって、
それ自体がもう充分で、成し遂げたということであって、
大往生ではないかと感じます。







時々そういうことを考えては、
今、こうして生きていることを確認するかのような、ありがたい気持ちになる・・・
不思議だー。

食は細くなっても、別腹は変わらず!

母には、本当に生きてもらっているだけで、
ありがたいです。




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