がんばり方について

完璧主義という言葉がありますがー・・・

自分は全然そうではないと思っていたのですが、
こうなっていきたいという願望、
思い通りにしたいという気持ちがあったならば、
それは完璧主義みたいなものではないかと思いました。
~すべき、~した方がいい。
まさに、これ、パターンですね。

自分自身の行動に対してもですが、
それよりも思い通りにしたいのは、他人の行動に対してです。
何をそんなに完璧に近づけたいのかといえば、
結果ではなく、その過程でいかにがんばっているか?
これをやっていたんだなあと思いました。
自分はがんばっている、という自負があるときは尚更、
そうしない人(パターンの理想ではない人)を見るとパターンは許せないんですね。

がんばることは私の場合、小さい頃から慣れていることなんだと思う。
もう物心ついた頃から、がんばって偉いね!とか、がんばり屋さんだね!
と言われて喜んできた(刷り込まれてきた)歴史があります。
自分を満たすものはそういうものにあったのだ。

気楽に、もっと力を抜いて~
そうなることが下手な自分は、気楽になれるようにさらにがんばっている・・・
また、パターンは気楽な自分を目指そうとすると不安を覚えるような気がします。
気楽じゃだめでしょ、がんばった方がいい結果が得られるよ、気分がすっきりするよ!とささやく。

パターンは一生懸命とか、やりきるとか、
後悔しないようにとか、そういう『がんばり方』が好きかもしれません。
そうする自分を誇りにも思うから。

もっと気楽にやればよかったって、
実はその軽さにこそ、誇りに思える自分はいるのではないか?
そう感じられるように最近なってきました。

完璧さはもう要らないし、
思い通りのがんばりでなくてもいいし、
ましてや、他人ががんばっていなくたっていいのかもしれない。
自分がそこそこのんびりと、ゆとりを持って、お気楽に仕事でも何でもやっていると、
かえってその方がいいあんばいで仕事(いい状態)ができていたりする。

がんばらない効用として、
体が健やかさを保てる、頭に血がのぼらない、イライラしない、焦らない。
何より冷静に他人も見れる。
そうなればもう少し自分にも他人にも優しくなっていくような気がしました。


もこもこでかわいい




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