本来の自分へと戻っていく

今日は岩手クラスの勉強会でした。
後から気づいたのですが、
自己開示というあらたまったものではなくても、
自分が思っていること、相手のお話で気になったことなど、
大分そのまんま話せるようになったと感じます。
(皆さんのおかげ~)
何より、心が軽いです。
お互いが本当に清々しいくらい正直になって話せているのだと思う。

Fさんの近況を聞いていて、
その葛藤は今のFさんだからこそ必要なものなんだろうなあ
と、なんだかそういうことが起きて良かったなあと思い聞いていました。
答えはもう決まっているけれど、伝え方をちゃんと納得いくものにしたい。
そういうところが私自身もあるため、何かしらのパターンなのかなと、
自分に置き換えてみて考えました。

こうしてみると、全てが必要なものしか与えられておらず、
なんと、これって幸せなことなんだろうって思った。
わざわざ、私、成長したいです!って思わなくても、
自分に合った成長の題材は次から次へと向こうからやってくるのだから。

『新しい自分へ変わっていくのではなく、
本来の自分へと戻っていく。』
師匠の言葉をあらためて考えました。

戻る?
戻っていくのは後退しているのではなく、本来の自分に戻るということですが、
思い出していく作業だったり、自然体になっていったり素直になっていく作業だと思う。
自分で刷り込んできたたくさんのパターンたちと共に、
それがあることを許し、そのままを認め、
そこでどう自分はありたいのかを考えていく作業もあります。

理解のある自分、じたばたしない自分、
他人に振り回されない(ように見せる)自分でありたいという、
そういうパターンの理想が、『理想のあり方』になってしまっていたりするので、
そこを見極められるようになっていきたい。
パターンの理想は、
きっと本来の自分とは違う自分を思い描いているはず。
ありのままでは、どこかダメだと思っているんだと思う。

また、これも師匠が言った言葉、
『自分にはふさわしくないものを、
自分が発揮するべきことと思ってはいないか?』
これにも、みんなが引っかかり・・・

自分にふさわしくないものをふさわしいと思っているんじゃないか?と、
想像すると、かなりゾッとする感じもありますし、
実際にそうなっていたとしたら、
それはかなりの苦しさが伴うものじゃないかと・・・
パターンが考える自分にふさわしいもの、一生懸命発揮しようとがんばってきたものって何だろう。
じっくり考えていこう。

元の自分へ戻っていくために、その方法はこれまでやってきたワークがあります。
知識だけではない、実践のワーク。
それらを力に、軽い心でやっていこう。
そう思った仲間との勉強会でした。



八幡様はこの時期いつもよりにぎやか〜 


コメント