【ミステリと言う勿れ】とパターン

菅田将暉さん主演【ミステリと言う勿れ】観てきました。
少しネタバレになってしまったら、すみません・・・

あ、これ、パターンのことだと思ったセリフがあったのです。
「子どもは、乾く前のセメントのようだからー」

心無い大人たちからの言葉、
決めつけや押しつけ、お前も大人になったらこうなる的なことを言われたら、
それはそのまま、その子の心の中にとどまり、
セメントのように固まってしまうということ。
乾いてしまったセメントはどうやっても壊れず、
そのまま大人になって、そういう自分になっていくんだと・・・

でも、この心無い言葉は、自分の中から創られたものではなく、
自分が外から刷り込んでしまったものなので、
どうにでも選び変えることができるのです。

このからくりに気づけるのかどうかで、
この先の人生の小さな選択一つ一つが変わっていくのですね。

映画では、主人公が呪縛に苦しむ高校生の女の子にさとしていました。
「君はまだ、子どもだから大丈夫だよ」
まだ、大人になっていないから、
セメントは乾ききっていないから間に合うんだよと、
教えたかったのだと思います。

大人になってしまっても、
それに気づいた時からでも、全然遅くはない。
充分間に合うのだと、映画を観ながら心の中で思いました。
もう固まってしまった考え方や信念は変えられない、
自分の人生はもう変えられないんだ、
と思う必要はないのです。

大人が、子どもに与える影響というのは計り知れず、
大きな傷を残すことがありますが、
でも、そこに自分が居続けたいと思うのかどうかの選択は、
誰にでも平等に与えられています。

そのことを実感するために、
パターンを知るという一つの方法があるのですね。
他にも何か違う方法があったり、
それを知らずとも、自分の人生を歩いていける人もいるのかもしれませんが、
今の私は、この方法がとてもしっくりきている。
そういうことなんだなあと思いました。

この映画、すごくおもしろかったと言っている人が多いのですが、
しばらく観ようかどうか迷ったのは、
犬神家の一族的なシーンがあったらどうしよう・・・って思ったのです。
そういう怖さはめっぽうダメなのです。
でも、違う怖さとおもしろさでよかった。


一ツ橋 如水会館





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