メインの体験

今日は母の一回目のコロナワクチン接種の日でした。
お昼を過ぎたくらいの時間で予約をしたため、
近くの喫茶店で先にお昼を食べることにしました。
そのお店は、昔からずっとそこにあって、メニューはもう何十年と変わっていないと思うのですが、
デミグラスソースのハンバーグがとっても美味しいのです(ずっと味が変わっていない)。
母にも同じものをすすめると、「こんなに食べれないわ~」と言っていましたが、
一口食べるとその美味しさに感動しまくり、ぺろっときれいに完食していました。

その後、診療所に行く途中には駅があり、
「ここって何なの?」
昭和の風情ただよう古びた駅をめずらしそうに見ていました(何回か来ているのだが)。
ちょうどホームに電車が入ってきて、ごく普通の何の変哲もないローカル線の電車ではありますが、
こんなに間近で見ることがないため、母はとてもうれしそうでした。

診療所では、お世話になっている先生が、
「どう?デイサービス行ってる?」と声をかけてくれたり、
注射が終わって、看護師さんとおしゃべりをして、母は本当に楽しそうでずっと笑っていました。
こういう他愛のないおしゃべりとか、はじめて(と思っている)の場所とか、はじめて食べるものとかに目を輝かせ、
特別なところに連れて行ってあげなくてもこれだけ喜んでくれる母に、
何かとてもありがたいなあと思いました。

お礼を言って外に出ると、もう注射したことを忘れてしまったのか、
「いいのかしら?今日はなにもしなかったわね」・・・と。
ここにはただおしゃべりをしに来たと思ったみたいでした。
わたしは少し怒り口調で「もう~注射したでしょうよ!」と言いましたが、
内心全然怒ってはいなくて、むしろちょっと幸せな気持ちでツッコミをしたかっただけでした。

ワクチン接種に関しては、
年齢が若ければ若いほど、するかしないかを真剣に考える方は多いと思います。
自分はしないと決めていたので、とても悩みました。
ただ、なんとなく母はやったほうがいいかなと思ったのでした。
ですがこうして、結果的に注射をしたことが今日のメインではなく、
入ったことのないお店で美味しいものを食べ、来たことのない(と思っている)駅に立ち寄って電車が見れた。
そしていつもお世話になっている方々とほんの少しの間、おしゃべりができた、笑った、
ということが「今日の母とわたしの体験」だったんだと思いました。

実際にやっていることと、そのことを通して自分が受けとること、
それらは、現実とはちょっとかけ離れて違うこと、理屈ではないことがあったりします。
これはいいことだと思っていることであっても、結果的に心が重くなってしまうこともあるでしょうし、
いいとは思えないこと、非常識なことであっても、
自分にしか分からないような気持ちがほっとする、温かくなるようなことが起きることもある。

今日一日どこに注目をして、それを自分は成すのか?
自分にとって気持ちがいいと思えるものだけを、受け取っていったら、それはとても楽だし、
自分を大切にしていることにつながっていくのだと思う。

時おり母は、そういうことを自然にやってのける人なのか・・・
ちょっと自分も見習いたいと思います。











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