同じ人間

今週は、目まぐるしく初対面の方と会う機会が続きました。
そういうときって、以前は何かもうぐったりして疲れてきっていたと思います。
会う前の準備から、話す内容、
また、会っている最中にも相手が今何を考えていているのか頭をフル回転させ、アンテナもピピッと立て、
常に相手の反応を気にしている感じが自分側にあったのだと思います。

それが、今はまったくと言っていいほどなくなりました。
準備こそしますが、話す内容などあまり深く考えず、
その場の空気感でなんとなくこんな感じかなというものになってきたように思います。
かなり、初めて会う人に対しての気負いっていうものがなくなってきたような。
会ってみたらパターンがえらく騒いだ、というのはありますが、
これはパターンだから、と分かっているところが以前とは違うゆとりです。
こんなふうに変われるなんて、
自分で言うのもなんですが、なんか成長しているかもしれないって思ってしまいました。

会う目的はいろいろですが、この場をいい時間、気持ちのいい時間にしようとさえ思っていれば、
なんとなくそれなりに話がすすんでいくような気がしました。
これがまさしく白の感覚。
先に、この気持ちがよい、軽い、風通しのよい、そういう感覚を持って、
その次にその場にあう会話が自然発生してくる・・・みたいな感じです。

目の前に座っている人を見て、
この人も、服を脱いだら「ただの人」だよなあ・・・って思うことがあります。
肩書がいろいろ付いていて、人脈も太いパイプもあって、
実際に仕事もきちんとやる人なのかもしれないし、実績もある人なのかもしれない。
でも・・・、服を脱いだら、自分と同じ人間であることには変りないのだ。
少し緊張する相手のときは、自分に還るため(人間であることを思い出すため?)の本能なのでしょうか、
この目線にしばしなってしまいます。
もう本当に、「ただの人」人類皆兄弟、っていう感じにしか思えない。

丸裸になって相手の前に座ってみるって、自分自身も気持ちがいいもの。
心を開き、どうぞわたしはこんな人間ですよって相手に見たいように見てもらう。
本当は何も隠すもものなんて、ないのかもしれませんね(バレていた方がいいかも)。
パターンは、隠したい、見せたくない、こんな風には思われたくない等々あるので、
ずっしり重たい鎧を着てしまうのです。
鎧を着ているから、会う前から気が重く、会った後にあ~疲れた~ってなる。

今脱いでもいいと思うものは脱いで、なるべく身軽にして人と会いたいものです。























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