惰性の次は?

自分の職場は、精神障害の方や発達障害の方が多く通う福祉施設なのですが、
なんのためにここに通っているんだろう、
どうなりたくて、自分、ここに来ているんだっけ?
そんな問いかけに、答えがわからなくなってしまったと言っていた利用者さんがいました。

ああ、こういうことってあるよなあ、って思いました。
通い始めたときはきっと、ここに来たいという理由があって、目的があったのだと思います。
それがはっきりしていたから多少のつらいということがあっても、通うことができていた。
それなのに、だんだんと、あれ?自分ってなんでここにいるんだっけ?
朝が来て、ご飯を食べたら、着替えして時間だから家を出てそこへ向かう・・・
惰性で繰り返される日常に、
自分がこの先どうなっていきたいのかわからなくなってしまう、ということはあります。

何か惰性で通っている、やっている、というと、
ちゃんと目的意識を持たなければならないとか、目標を掲げなけらばならないとか、
よくないことの意味で使われることが多いかもしれません。
でも、考えずにやっていることってある意味すごいんじゃないかと感じました。
それはそれで、すでに自分の一部になっているということで、
やっていることがあたり前になりすぎて、もう考えなくても、力を入れなくなくてもここに来れている・・・
それも、そういう段階にいるということでいいんじゃないかなと。

次の段階へ進もうとするとき、
『目的を見失う』ということがあるかもしれません。
もう昔の自分とは違っていて、今の自分でじっくり考える時が来た。

すぐに答えが出なくても、今やれていることは自分のものなのです。
この惰性を続けていってみて、新しく感じるものが必ずあるように思います。
どうして自分は、これやっているんだろう?
ってわからなくなったときは、もうそこはクリアしていて、すでに次に向かって行っている。
また新たな覚悟を持って進んでいくのだろうなあと思いました。









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